水流渓人「hot-news」

2010年6月9日

途中まで登っていた「黒岳」と、初めての「笹ノ峠」に、おっさん二人が行ってきた!!

 

  「復活だぞ!」とまでは行かないが、久しぶりの小松の親分との山行である。今や、転職で先生となった小松の親分は、土日が休みの世間一般的な状況下、なん と!水曜日に休みを取ってくれていた。「軽く、リハビリ山行でいいですよ!」とのリクエストだったので、ニューピーク山行へ、お付き合いいただいた。微笑 ましくも可愛らしいオッサン2人水曜隊は、エチコチと、自然林素晴らしい尾根歩きに精を出した。のだ・・・。

 
  
なんと、諸塚街中の崖にヒュウガアジサイ 七ツ山・元の宮地区から、小原井地区へ左折
   
 

登山口広場は、広い駐車場。上の崖は「黒ダキ」と呼ばれている。

 

登り出すと、20分程度で黒岳神社の鳥居・・・
復路で立ち寄る事にして左折
しばらく登りに精を出すと、なだらかなスズタケの道となる。


 この黒岳には、2002年1月に、 ママ・長男・次男と、紋原地区のフクジュソウを捜しに来ている。雪が残り、子供達は喜んだ。滑りそうだったので、黒岳神社まで登り戻った。8年前の事だ が、記憶としては、つい先日の様でもあり、写真を見直すと、子供の成長から、ずいぶん時間が過ぎた感じもする。51歳を過ぎ、私は親父の死んだ年齢を超え ようとしている。数日前、長男と話をしている時の事・・・。「お父さんは、60歳になったら自転車で日本一周をしようと考えちょっから、そん時は、お前が 記念にロードバイクのいいのをプレゼントしてくれよ!」と、唐突に言った。あれこれ話している間に、彼の進路の話になったが、どうも物理を専攻し研究する のが、今のところの彼の目標だそうだ。私が貧乏に育てた?・・・いや、豊かに育てているとは思っているが、子供達は経済的な事より価値観を大切に将来を考 えているみたいだ。「いや、ある程度稼がないと、食べていけないし、少ないより多いほうが、よりよい経験も積めると思うよ!」とアドバイスをしてはみる が、長男に至っては、金の稼ぎは2の次どころか、心が錦なら、好んでボロを着てやろう!主義を貫きそうだ。最後に、「まぁ、いろいろな価値観はあるだろう が、より良い大学に入れば、より良い人を知るし、質の高い経験が出来ると思うよ!しかし、自分の価値観を高める為に、たくさんの経験を積まないとな!!」 と、親らしく締めくくってはみた。「んーっ、価値観かぁ〜!ボクは、金は必要ないなぁ〜。」と、まだ言っていた。「じゃ、お前の目指す所は何なんだ?」と 聞いてみた。ソファーでゴロゴロしながら話していた長男高校2年パソコン部部長が、ひょいと振り向きながら、「んーっ、うちみたいな家族が、目標かなぁ 〜。」とボソと言った。少し鼻がツーンとして、返す言葉が湿りそうで、何も言えなかった。

 
  

黒岳1455.3m山頂で、オッサン2名。 山頂から祖母方面を見るが、残念な視界
 
 

復路はニクダキ・カゴダキへと回り、自然林を楽しみ、展望を楽しんだ。崖となる稜線上には、実をつけたヤマシャクヤクが点在していた。写真は、カゴダキから山頂方面。
 

 

黒岳神社 思い出の展望所
 
 

  登って下って約2時間。午前中の1座となる。駐車場広場には、大きな東屋があり、そこを借りて昼食を食べた。次は、「笹ノ峠」を目論んでいた。しかし、宮 崎の口蹄疫は大きな問題で、山を歩く者も抑えムードである。7日に、発生件数が減りやや明るい報道に、私も心踊り諸塚へ来たものの、車両消毒を繰り返す内 に、やはり来ない方が良かったのでは・・・の気持ちになってくる。帰宅後の報道で、都城が飛び火発生・・・、日向市・宮崎市にも・・・と、更なる拡大を告 げた。毎夜チェックする、農林水産省のHPを見ていると、特定はされていないが、どの・・・誰の・・・農場の事か判ってしまうのが悲しい限りだ。
 黒岳登山口から、一旦諸塚村327号線に戻り、椎葉へと右折する。当然、口蹄疫対策の消毒ポイントを通過する、新松尾橋先は時間規制をしているが、橋を 右折し湾地へは通行できる。小学校前を通過すると、ぐいぐい高度を上げる細い道となるが、人家がけっこうあるのには驚く。厳しい生活を強いられて来たのだ ろうが、山の暮らしの逞しさに敬服するばかりだ。しかし、よく考えると、笹ノ峠は、椎葉−南郷・神門を結ぶ交易路「塩の道」として深い歴史があるのだか ら、人の住まう場所としても歴史は深いのだろう。

 
 
松尾小学校 笹の峠登山口(塩の道)
 
 

「塩の道」は、南郷村・神門への交易路だった。
自然に溶け込む道は、人が自然の一部だった頃の証だろうか・・・



  今は、その「塩の道」を横に引き裂くように、不自然な道が抜けていた。すでに、人は自然の一部ではなく、大きな鉄の爪を振りかざし、その懐を引き裂いた。 誰が、いつ、どのように利用するのだろうか?鉄の爪を都合良く「技術」だとか、「開発」だとか言うならば、利用しなくなれば元へ戻す技術と財を投じても良 いのでは無いだろうか?材木を搬出する林道ならば、その時に作り、元に戻せば良いのではないだろうか?経費の問題だと?・・・いや、違うね!その場しのぎ に正論かのように囃し立て、一部が笑えばそれでいい結果だと思える。そう!それは、個人的な誰かの所有権だから、どうしようと自由だよね!所有する土地 は、本当は地球の一部である事も認め、その責任も持たないといけないのではなかろうか?
 ご丁寧に、どこぞの組合長退職記念の碑なぞ林道に掲げ、お節介にもこの「笹ノ峠」の由来を彫っている。やはり、どこかおかしいと思う。この白けた林道に 分断されながらも、その先には、かつての「塩の道」が自然の中に続いていた。白けた光景の後、塩の道だった登山道を歩きながら、そこが昔からの道だと意識 できるまでには相当の時間がかかってしまった。この林道で、山の暮らしが、はたしてどれだけ豊かになったのだろうか?

 
 
本当は、ため息が出る・・・ 素晴らしい自然林の道。
 
 
一等三角点の立つ・・・ 「笹ノ峠1340.4m」オッサン2人
 
 

山頂から、清水岳方面が見えていた。

 
 

  持参したジューシーなオレンジを分けて食べた。久しぶりの男二人は、それはそれは懐かしい感覚でもある。気を使う必要もなく、単独の寂しさもない。小松の 親分と、岩へ挑戦し続けた頃が懐かしくもある。登っていないルートがたくさんあれば、自然に目標が見え、挑戦し、達成感に包まれた。山や岩は、変化してい ないのに、我々をとりまく環境は、それぞれに大きく変化した。変化に飲み込まれながら、彷徨いの足取りで今日まで来ていた。でも、足元は不思議と冷静に見 えていたと思っている。これからも、時々一緒に登り、ぼちぼち冒険を試み、自然をキーワードに楽しんでいこうと思っている。
 いつ行っても「休館日」の「石峠レイクランド」の温泉・・・、水曜日は休館日だから、私には縁が無いんだなぁ〜・・・。で、耳々津から、水曜隊ご用達・・・いつもの「お舟出の湯」に浸かった。

 
 

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