水流渓人「hot-news」

2010年2月24日 「六峰街道の六峰の登り残しを消化する!」いい天気になったぜぃ!

呑気に、のんびりピークを探して歩く・・・

 

 1999年4月。 それは、家族登山に没頭し始めた頃・・・。「諸塚山」「赤土岸山」「二上山」と、家族で登った。本当は、六座制覇と意気込み出かけたのだが、子供達は、登 山を遊びと思っていなくて、「遊びたい!」と言い、広場でしばらく遊んだ。そんな呑気さがあってこその家族登山だった。もう、全員で登る事は無くなった が、その背景には、間違いなく私の欲があった。登れば登るほどに高い目標?危険度の高い山行?を目指したのだろう・・・。岩登りを家族全員で!などと、勝 手な目標を私だけが掲げ浮き足立っていた!・・・に違いない。山登りを通じ、私は家族をより近くに感じるためだったはず。冬のアルプスに行くことも、難易 度の高いルートの岩登りをすることも、振り返ればそんな価値観は持つに値しないと、ふと思い直した。
 
 次女が、最大目標にした大学に合格した。本当に、彼女は、中学・高校と良く頑張った。努力を重ね成績を上げ、部活の美術では九州大会〜全国大会へまで 行った。私は、良い成績をとり、美術で入選することを評価して来たのではなかろうか?彼女の目指す大学は、いつも模試での評価は、到底合格しないランクの 成績ばかりだった。結局、私はその評価のみを鵜呑みに彼女を判断してきたのではなかっただろうか?彼女は、目標に立ち向かうためOA入試という手段を選んでいた。芸術工学部という学部のAO入試は、「内申書+志望理由書+自己アピール」の1次試験。それで合格枠の4倍が選定され、「センター試験成績+描写(デッサン)」の2次試験での合格発表である。学力だけでは足りないのであれば、どう挑戦したらよいのか?を方法として彼女は考えたのだ。それすら気付いてあげれない、本当にバカな親だと反省した。センター試験の自己採点結果を聞き、合格圏内となる大学の前期試験を申し込みさせた。彼女は、自己の全部を使い最大限で挑んだ事すら、私はその時評価してあげられなかった。

  
 

「速日の峰」「真弓岳」「九左衛門峠」を目指した!

 
 

  清水観音への入口から歩く(登る)。観音様から先は、少し藪がうるさくなっていたが、ふと右を見上げるとなんとなく平らに見える尾根?・・・と、登れば、 案の定人工スキー場の駐車場。ふり返れは巨大な風車が見え、見上げれば電波塔が見えていた。しばし道路を歩き、上へ行くとリフト降り場・・・。その先が、 いわゆる「登山口」と書いてあった。登り始めて35分で山頂標識にたどり着き、1座ピークゲット!となる。西に目印が下っていたので、多分車道!と思い 下ってみると10分で車道に出た。
 
 

  合格の発表日まで、私が一番動揺していた。精神的に不安定になり、とにかくボンヤリしていた。それが、次女の事が原因だとは思わないが、異常なボンヤリ感 に包まれていた。しかし、彼女の合格が判り、喜び、震え、興奮し、涙が流した。それと同時に、彼女の自己の全てを駆使して挑んだ過程を理解していなかった 私を、情けなく感じた。私は、今まで何を理解し、何をしてあげたのだろう・・・。本当は、私がどうであれ、彼女の努力の賜物は違う結果は無かったのかも知 れないが、情けなさを強く感じてしまった。
 たくさん考えた。単純に喜びたいと思った。じゃ、その為にはどうしたらいいのか考えた。精神が不安定で、ボンヤリ感があるなら、身の回りを、もっとシンプルにしてみたらどうか?と思うようになった。

 
  

 続いて中小屋天文台を通過し、以前探した「真弓岳」をめざすが、車道横に立派な案内板が立っていた。少しダートを上がると、イノシシ罠が仕掛けてあり、駐車すると、その尾根に取り付いた。ひと登りで、目印が現れ、楽勝に2座目のピークをゲットする。15分で山頂である。
  
 

  「なんで?」と聞かれる事、自問する事・・・どれを表現しようとしても違う気がして、理由を明言できない苛立ちもあるが、西都山岳会の会長を辞し退会させ ていただこうと思っている。土日仕事の身上でも、師匠他、会員の皆さんはいつもやさしく付き合ってくれた。一緒に登れない事に不満を抱いたが、それは自分 の環境であり生活を維持する為には仕方ない事と判っても、いつもストレスを抱いていた。でも、私の環境が、いつでも山岳会の皆と山へ行ける環境にあったら どうか?と考えてみた。多分、大して一緒には行かず自分の方法でしか山へ行かない自分が見えてしまった。そこに気持ちが行ってしまった時、師匠の会長辞任 を打ち明けられ、名ばかりの会長を引き受けてしまった。なにもしないながらも、嘘をついているみたいで、辛い3年間であった。山へ対する経験も実績も、こ れからの夢や予定も曖昧なままの自分が、名ばかりと言えど引き受ける事ではなかった。山岳会員だけでなく、世間へも、自分にも嘘をついての状況は、足元を 見たら登山靴でなく、先のクルリと反り返ったピエロの靴を履いて先頭を歩いているみたいだ。そして、その後ろには共に歩く人は、初めからいなかったという 事だ。

 
 

  諸塚村へ下る分かれ道に戻り、「九左衛門峠」への取り付きを検討する。少し、諸塚方面へ進み、やはり以前探した左折の林道まで行ってみる。標識に、九左衛 門の名がある。「駄賃付の道」の標識もある。詳しい地形図を準備していなかったので、とりあえず森に入ると、立派な街道を思わせるかつての「運搬駄賃道」 が伸びていた。9分で三角点へ。
 
 

  まぁいいや!理由は無く、そこに自分がいたのかいなかったのか、もう価値観としては無意味だ。たくさんの経験と知識を誘引していただいたという大きな感謝 の念だけを抱き、人は未来へ向けてしか歩みを続けていけない・・・決して過去へ向けて歩いてはいけない・・・そう前向きに考えれる自分を意識すれば、もう 理由なんか無いも同然だ。礼節として挨拶ぐらいはしよう考えもしたが、無視したみたいに卑怯に去る方が、堕落的で現状らしい感じがする。今月、山岳会は 53回目の総会を迎える。私が参加できない日に日程が組まれた。もう、すっきりと気持ちがしている。「ありがとう」も言わせてもらえない状況となったが、 これからは、同じ自然を愛する仲間としてよろしくお願いします。
 
 呑気なピークハントは、深い穏やかな気持ちになれた。そんなぐらいが丁度良くて、帰路、五十鈴川沿いの物産屋さんで「自然薯」を1本買った。帰宅し、ゴリゴリすりおろして、皆でネチネチ食べた。子供達やママの顔をしげしげと眺めた。

 
 

登山日記のページへ

 

自宅発6:30----佐土原駅----六峰街道入口8:38----清 水観音入口9:04----清水観音9:08----人工スキー場----電波塔----速日の峰9:42---下山・車道9:55----駐車位置-- --真弓岳入口11:05----駐車位置11:08----真弓岳11:27----下山11:46----運搬駄賃道の碑11:55----駐車位置 12:01----九左衛門峠三角点12:10----下山----中小屋天文台・昼食----13:20----五十鈴川横----温泉----帰宅 18:50

 Copyright (C) 水流渓人 All Rights Reserved  

BACK

inserted by FC2 system