2002年12月31日〜2003年1月4日 大阪市西成区/ママの実家へ

水流渓人・大阪・清水寺・知恩院・八坂神社・住吉大社・蘇鉄山・天保山

   【初詣編】・・・・・出発〜元旦の京都初詣〜近所の住吉大社
   【蘇鉄山編】・・・一等三角点の日本一低い山
   【天保山編】・・・日本一低い山

2002年12月30〜31日

  
 今年の正月は、広島の宮島を予定していた。初日に「弥山登山」の後、宮島の旅館で豪華大晦日宿泊をし、翌日「厳島神社」へ初詣・・・と、この不景気に大枚をはたいて計画していた。しかし、折角の広島行きで広島市内の資料館などのの開館日に問題が生じた。折角行って原爆資料館も見れないでは、もったいないことこの上ない、そして、広島近辺に水流一家がいつも冬場使用の「貸バンガロー」の施設の少なさと言ったらない。広島も旅館・ホテルの利用など、あまりにも浪費である。・・・・・と、そんなこんなで宮島宿泊費用程度で、しかも2泊出来て、おまけに車載移動も出来る「マリンエキスプレス」フェリーでの大阪行きが決定した。
 大阪へは、仕事を終えた30日の夜7時10分に宮崎港から出港し、翌31日の朝7時半には大阪南港に到着する。南港からママの実家へは15分の距離、しかも宿泊費は無料である。

  

 30日の年末とは言え、宮崎→大阪へは混雑もない。ビールでも飲みながら夕食をとり、ゴロゴロ寝ていれば翌朝には大阪だ。 

 船内の割り当てられたネグラに直行!二等ザコ寝室。先頭の兄ちゃんは、勘違いで水流一家の場所へ・・・、すかさず水流ママの注意の対象となる。 

 

大阪南港に到着。今年最後の日の出を見た。
 
2003年元旦
京都へGO!

 アクセスは、「地下鉄四つ橋線」→大国町「地下鉄御堂筋線」→淀屋橋「京阪電車」・・・・しかも、京阪電車2階建て車両だ。普段、宮崎で電車に乗らない子供達は嬉しそう??おっと、普通の顔してる! 

 「清水寺」・・・音羽山清水寺は、1200余年前(778年)奈良子島寺の延鎮上人が、千手観音像を彫作して居士の旧庵にまつったのがおこりである。

 

【本堂と舞台】
 江戸時代初期、国宝。寄棟造り、桧皮葺きの屋根や軒下の蔀戸など、平安時代の宮殿、貴族の邸宅の面影を伝え、四囲の音羽山と調和している。寛永10年(1633)再建、正面36メートル強、側面約30メートル、棟高18メートルの大堂である。
 また、急崖に約190平方メートル、総桧板張りの「舞台」を懸造りにして張り出し、最高12メートル強の巨大な欅の柱で支えている。「清水の舞台から飛ぶ…」の諺(ことわざ)があるが、舞楽などを奉納する正真正銘の「舞台」で、両袖の翼廊は楽舎である。舞台からの眺望は、実に絶景。  

【音羽の滝】 
 清水寺の開創を起縁し、寺名を由来。こんこんと流れる出る清水は古来「黄金水」「延命水」とよばれ、”清め”の水として尊ばれ,開祖行叡居士・開山延鎮上人の滝行を伝統して水垢離の行場となり、またお茶の水汲み場となってきた。参詣者が行列をつくり柄杓に清水を汲み、六根清浄、諸願成就を祈る。 

 私も小学4年生の頃、初めて清水寺に来た。特にこの清水が印象的で、鮮明に記憶している。子供達も、きっとこの日の事を忘れないと思う。

 

人混みに押されながら、三年坂を下る
    

知恩院】・・・浄土宗の総本山。承安5年(1175)に法然上人が大谷禅房を結んだ旧跡である。国指定重要文化財の「三門」は現存する木造の門としてはわが国最大である。狩野派の障壁画が多く、うぐいす張り廊下、左甚五郎の忘れ傘などが有名。除夜の鐘でもなじみが深い。
 
初めて訪れた「知恩院」である。三門の大きさに驚いた。都を有した地にふさわしい、堂々とした風格である。多くの歴史の産物を目の当たりに出来る京都は、もう少し深く散策したい気持ちになった。これからの楽しみも増えた。

    

八坂神社】・・・本殿は寝殿造様式という珍しい神社建築で、祗園造り。国指定重要文化財。7月の祗園祭はこの神社の祭りで“祗園さん”の名で親しまれている。

 


 


 
 

 電車を乗り継いで、いろんな所に出かけた。子供達は、何を印象として残してくれたかな?と思う。何でもそうだが、絵や写真やビデオで見るだけでは伝わらないことの方が多い。そこがどこであるのか?どんな所であるのか?どんな意味があるのか?などと考えるより、そこに行ってそこの風に空気に触れた方が良いと思う。京都・・・、そして正月の京都・・・。何だったのか、どこだったのか、これから君たちの将来で、ふっとその時の風や空気を思い出してくれるはずである。そして、そこに家族の息づかいがあったことも・・・

  
2003年1月2日
 すみよっさんへ

住吉大社】・・・近畿地方きっての古社である。秀吉が寄進した丸い太鼓橋で有名。摂津国一の宮として信仰され、船舶の守護神として古来より崇敬を集めてきた。文化5年(1808年)改築になる国宝住吉造の4棟の本殿が美しい。全国二千余にも及ぶ住吉社の総本宮である。

 

住吉踊り】御田植神事の中で踊られている田楽舞。神功皇后が三韓遠征から凱旋の際に、泉州七道浜の住民が傘を被って吉師舞(きしまい)を舞って祝ったのが起こり。

 ママの実家から、歩いて20分程度の距離にある。新婚当時、二人で和服を着て初詣をしたことがある。無き母が仕立ててくれた「大島紬」を着て・・・。そして、今日あの時と同じ所に参拝したはずである。

 
 
【初詣編】 【蘇鉄山編】 【天保山編】

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