ニュースで、全国的な寒波の報道を聞いた。会いたくて、会いたくて・・・まるで恋人にでも会うかの様に・・・ってな事はないのだが、自然に接する事の魔
力?いやいや魅力にはまっている。やはり、何もしない一日では、また1週間をやり過ごせない気がしている。会いたくて出かけて行った。私にとっての「登
山」とか、「自然」とか何なんだろう?何だか判らないが、触れずにはいられない大切なものの様な気がしている。かといって、自然は感じさせてはくれるのだ
が、「触れ」させてはくれない。「触れ」てしまえば、壊れ消えていく気がしてならない。「触れ」る事を許してくれない自然を眺めながら、たくさんの思いを
馳せる。触れてしまえば本当に消えるのだろうか・・・と。
樹氷は、触れれば壊れる。しばらくすると消えていく。ふとした瞬間に会いたくて登ってきた。登ってきて、思うような景色に出会い感動した。想像以上に素
晴らしい樹氷と青空に出会い、それで良かったんではなかった?次は何なんだ・・・。欲深い自分に気付き、返って落ち込んでいく。会えただけで良かったの
に、いつしか自分のものにしたくなる。人は自然を自分のものにしようとしたせいで、自然を次々と壊していったのかも知れない。デリケートで聡明なはずの自
然へ、こうして分け入っている自分が嫌になるときがある。会いたくて会いに来て、それだけでは物足りなくなる自分が嫌になる。じゃ、会うのを止めたらどう
だろう・・・。さびしい?辛い?そんな感覚ではないよなぁ!
気が付けば、足は獅子戸の方へ向いていた。・・・って、そんなウソを書くな!自分で、じゃ縦走してみようか・・・と決めて、足を伸ばした。歩くのも、登
るのも、正直しんどくて楽しい事はない。歩かなければ、登らなければ、という圧力におびえてそうしているのが正直なところだろう。何か、自分の始めた事を
投げ出すのか!という脅迫を自問自答し継続しているのだろうか・・・。判らない!判らないどころか、そんな事考えなくていいのでは?!真っ直ぐに自分の気
持ちを持ち、「山を登る」事を続けていけばいいはずである。ボーッと、昼食を食べた獅子戸岳の山頂で、どうにも出来ない、どうにもならない事を考えてばか
りいた。何度も思っては思い直し、気が付いて歩き出す。
新燃岳の火口湖は、傾きかけた日に湖面の輝きを見せていた。何かにすがる様に歩こうとしても、それは私を振り払い続ける。自分の足で歩けよ!自分の歩幅
で歩けよ!と、私を振り払い続ける。そうこうしながら、新燃岳からの下りは、木道である。それは、自分の歩幅ではない歩きを強いられる。自分の歩幅じゃな
いけど、世の中って時折は、周囲の歩幅に合わせなければならないことだってあるんだよ!今度はそう言いたいのか!?と、思う間もなく中岳へ到着し、高千穂
河原を目指す。すでに、登山道は遊歩道に変わり、敷き詰められた石畳が膝に痛くてたまらない。
あれこれ考えて、理由は判らず、もう次の登山の計画に思いを馳せる。それでいいのだ!だよね?
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