寒波到来!であるが、風裏になる南面のスラブ・・・。仲間との水曜クライミングも、2005年の最後となった。どこを登ろうか・・・と話し合うも、リー
ドの行く所ついていくのみになることは言うまでもない。しかし、このFYKルートの1Pを選ばれてしまった時には、もう・・・なるようになれ!である。こ
の比叡の南面にして最難関のルートである。
風裏とはいえ、リードする小松の親分を確保していたら、体が冷え、指先が凍えてしまった。「登って来い!」の掛け声に、上に行こうとしてまったく上にい
けないスタートである。どこに立ち、どこを掴む?それほど何もないFYKルートのスタートである。結局、いつものように有効手段(ピンに立ったり、ヌン
チャクを握ったり、アブミを使ったり)を駆使して、立ち向かう事になった。しかし、それでも中間部で力尽き、どうしても左へ移れずテンションをかけてレス
ト。小ハングを乗り越す時、ハーネスにつけたフィフィで再びレスト。とにかく厳しくて、左足の「前脛骨筋?」が攣りそうになる。我慢に我慢を重ねて、よう
やく登りあがった。そのまま、つるべで私がリードするが、4級の壁をヘロヘロになってしまった。
失われた草付に入る。直上しながら、黒いスラブを目指す。そこが、核心の部分。フォローだが、ヘロった体でフリーで抜けれて大満足である。その後も、4級ながら緊張感のある快適なスラブを抜け、稜線へ抜ける。稜線は突風で、粉雪が舞い上がっていた。
どうのこうのと、言っても言われても、本年最後の登攀にピリオドを打った。小松の親分は、実に純粋に「岩」を楽しんでいる。「ボルダリング」「フリーク
ライミング」そして、「マルチルート」。私は、そこの「マルチルート」の一部分に関わっているだけだ。アルパインクライミングというスタイルがあるが、私
はまったく意識もしていないし、やりたいという気持も薄い。本当に自分は「クライマー」ではないと思う部分だ。今は、「比叡」とか「鉾岳」とか、そんな数
多くある「宮崎の岩場のルート」を、数多く楽しめればナァ・・・なんて思うだけである。誰かより上手に・・・とか、フリーで抜けるぞ・・・とか、ルートに
優劣をつけよう・・・とか、何も意識がない。「得体が無い。」と言った方が正確だろうか・・・。登ってきたそれぞれのルートの、それぞれの素晴らしさなら
語れる。スタイルや嗜好で、自分以外を見たり、評価したり、価値観をぶつけ合ったり・・・まるで興味が無いのだ。より純粋な形だと思う「ボルダリング」や
「フリークライミング」を楽しむ事も素晴らしい。ただ、私には出来ないし、やってみようとも興味が湧かない。同様に、アルパインクライミングとかアルピニ
ズムとか、難しすぎて判らない。アルピニストである諸先輩方の、経験による熱弁を聞くことは嫌いではない。しかし、同じ気持になれ!同じ価値観を持て!お
前たちのやって居ることはダメダ!と言われても、それに共感も批判の感情も起きない。だから、従来から言われてきた「クライマー」などというものではな
い!と思ってしまう。一つ一つの開拓された「近場の岩場」に、開拓者の気持を想像しながら、そこを旅する「旅人」なのだと思う。それに少しばかりの冒険心
が強いだけの事である。きっと、そのうち怖くなって「逃げ出す」のだろうが、岩登りを止めてしまう時、それを「逃げ出す」という言葉が適切であるのかは、
誰が決めるのだろう・・・。
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