水流渓人「hot-news」

2008年3月14日 「薩摩街道・・・去川〜和石」編/宮崎県
なんだが、少しかすめただけで、迷い道しばし・・・

 
 

去川  関所を作った時、左を流れる川・・・左流川・・・さるかわ・・・去川となったとか・・・。

 
 

 和石を「よれし」と読める人も少ないだろう・・・。と、そんなことではないのだが、岩野屋から国見峠まで歩いたのは、今年の1月27日の事・・・。その先、和石と標識があった。せめて和石を通り、去川ぐらいまでは歩いてみようか!と、話した。そして、この日、簡単に「去川〜和石〜国見峠」を歩いてみようと出かけたのだが、前夜準備していた【地図】、【コンパス】を忘れた。ついでに、【デシカメ】も【免許書】まで忘れ、感に頼って歩いてみようとした、勘違いな、そして、感ほどいい加減な事を証明した様なものだった。

 
  

国道10号線、高岡町の「去川の関」跡から、小学校側へ左折する。

 

 去川に関所が設けられた背景は、第16代、島津義久公が天正年間の中頃(1580年)、国境の防備を固めるため、高岡郷、穆佐(むかさ)郷、綾郷、倉岡郷、そして支藩佐土原へ通ずる薩摩街道の大事な地点でであり、大変厳しい取調べが行なわれた所だそうだ。また、この関所の番人には、廃藩置県で廃止になるまで、二見家が11代にいたるまでこの関所の御定番を勤めた。二見家は、【約430年前の永禄年間、伊勢国の国守・佐々木義秀の家臣であつた伊勢二見ケ浦の城主・二見岩見守久信は、織田信長に攻められ薩摩の蒲生郡に逃れ移りました。1582年頃、島津氏の勢いは大変強く、第16代・島津義久は近隣諸国をことごとく討ち従えていました。義久は、国境の防備を固めるため関所をここ去川(左流川)に設け、御定番に二見岩見守久信を命じた。】と案内に記されている。
 で、なんで「去川の関」なのか?ということだが、藩政時代、鹿児島城下から領外へ出る薩摩街道の中で最も重視されていた【西目筋(にしめすじ)】と【東目筋(ひがしめすじ)】の二本の街道で、その東目筋が鹿児島城下から、加治木、牧之春を通り、日向路を、都城、高岡、本庄と結び佐土原に至り、軍事目的、参勤交代、物資輸送、連絡道などとして重要な役割りを持っていた。そして、薩摩街道日向路の中での険路(けわしい道)は、有水の岩屋野から、和石(よれし)を通り、去川の関所に至る尾根伝いの道だったそうだ。だから、去川の関までは登山的要素もあるかな?ってな具合で、歩いてみようと思い立ったのであるんだよ!!

 
と、書いてある石碑 その大銀杏は、葉を落としている。当然か!
 
   
こっちが、薩摩街道と書いてあるから、こっちへ 道は荒れて無くなり、立派な林道に出た。
  
  

 この時点で、記憶していたはずの地形は、地図無しではメチャクチャ〜!!とりあえず、林道を歩いてみようと、歩いていると、森林局の方の車と出会い、詰めればそこが尾根で薩摩街道だと教えてもらった。しかし、去川からの明瞭な道を聞くことは出来ず、記憶残るのは「竹林から・・・。」という言葉と、「ここらは、たくさんの盗賊道があるからなぁ〜。」と言うこと・・・。この盗賊道に、しばしワクワクが高まった。
 
  

尾根には、薩摩街道の雰囲気が漂っている。方向を左へとり和石を目指しているつもり・・・。

  
 
間違いなく街道だよな?? この石柱が何なのか?進路を左、尾根の延びるほうにとってみた。右にも道は伸び下っていた。
 
 

去川の大イチョウから、林道をつめ、薩摩街道にのったつもりで尾根をたどるが・・・

  
 
舗装路が見えてきた。 さぁ、ここを右か?左か?和石は・・・
 
 

尾根を下り、舗装路を左に歩いてみると次第に坂を登り、砂利道になる。引き返しだな!
  
 
人家が見えてきた。 大きな車道に突き当たる。ここが東和石で、右に行けば去川、左が西和石ということ・・・。今は、「薩摩街道歩き」は、この車道を去川から歩いているそうだ!
 
 

 去川から車道を歩いてくると、この東和石から尾根道へ、本来の薩摩街道へ入る。

 
 
 車道を去川へ戻る 去川の大イチョウの所へ至る。
 
 
なんとも、お奉行チックなお地蔵さん ホイッ、10kmのウォーキングだった!
 

 方向を見失い、此処がどこで、薩摩街道がどちらかを誰かに尋ねたかった。東和石の民家周辺をウロウロ歩いて見たが、なんとも人気の無い集落だった。コツッコツッと音がしていたので、少し民家の庭先に入り込んでみると、おじいちゃんがナタで木の小枝を落としていた。「すみません。ちょっと教えて欲しいのですが・・・。」と、ずうずうしく入りこんでいくと、このハゲ坊主のヘンテコなおっさんに、少し驚いた様子だったが、続いて大きな関西なまり?の声で聞くママの声に、少し安心したように話し始めてくれた。ようやく位置関係が判り安心した。「また、どうぞ来てくださいね!」と、やさしい言葉を頂戴して車道を去川へ戻る。
 去川の集落が近づく頃、森林局の人が言っていた「竹林・・・。」という状況が把握できた。尾根はこちらに確実に伸びていた。荒れた道が確認できたが、『立入禁止/地主』の看板がいくつか見られた。無理して踏み込むつもりもないが、そこがそうなのかは確かめてみたい気分である。大イチョウの所まで、また人気の無い集落を歩いた。

  

 

 自宅9:00----宮崎駅----高岡・去川10:15----大イチョウ10:20----スタート10:40----林道から尾根11:22----石柱分れ道11:26----車道へ11:54----砂利道折り返し----東和石12:48----車道歩き----大イチョウ13:37----高岡温泉----宮崎の学校----自宅18:00

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