水流渓人「hot-news」

2008年1月27日 「薩摩街道を岩野屋から国見峠、そしてケラガツカ」宮崎県

 

日曜日、休みだよー!
と言っても、長女は「行かないよ!」と断る。
次女と長男は、「火曜日から実力テストだからねぇ〜!」と断る。
次男は、「友達の家に行く約束がある!」と断る。
で・・・、選んだのがこのコース。
 
宮崎の山歩き」を主催されているyamaskさんの報告を参考にさせていただいた。

 

薩摩街道の簡単な説明が、高城町のHPにある。参考ページ

  
  

岩野屋集会場の駐車場に設置してある看板。岩野屋〜去川が10kmと書かれていた。

 
  

 コーヒーを水筒に入れ、おにぎりを4個作った。8時に自宅を出る時、子供達に沢山沢山の諸注意をするママである。途中、いつものガソリンスタンドで給油する。朝食を食べずに出たので、コンビニにも立ち寄る。私が、弁当を買ったので助手席になると、そのまま岩野屋まで助手席のままだった。
 高岡町から、国道10号線に乗る。大淀川沿いに去川の関を過ぎ、高城町四家を過ぎる。七瀬谷から左折だなぁ〜と思いつつ地図とにらめっこしていたが、案内板もなく通過してしまっていた。引き返し、多分これだ!という所を曲がると、曲がったところに案内板「さつま街道」があった。上手く道をたどれないと、すぐイライラするのが私であるらしい。ママに、いつも指摘される。だが、いつも助手席で地図係のママは、地図を持ったまま寝ている事が多く、運転も・・・地図確認も・・・の状態が多いのでイライラするのである。まぁ、それで大喧嘩になる事も無く、いつも私がイライラして、いつもそれを指摘するママがいるという事だ。

  
 
国道10号線の左折位置 曲がったところに看板みっけ!
  
  
駐車させていただいた熊野神社前 水洗トイレが利用可能な岩野屋集会所
  
  
民家の間をすり抜ける 歩き始めてすぐある「宝暦11年の山の神」
  
 

森へ通じる薩摩街道に分け入る・・・なんかゾクゾクする感じである。

 
  
掘れた道に歴史を感じる 思いも付かない時代だが、思いを馳せる
  
  


3本杉にある「明治40年の山ノ神」

 

 気持ちよい尾根道のトレッキングである。いつしか心地よい汗が出た。想像も付かない時代の薩摩街道なんだが、今の時代に歩いている自分達が不思議な気がする。自然は遥かな時を知っている。そのほんの一部の時期を私たちは生きている。自然を愛し、楽しみ、いとおしむ者は、自然の中で、自分はどれだけ『ちっぽけ』なのかを感じる事・・・、そう感じる事で自然を大自然と感じる。ほんの近くに、たくさんの自然が豊富にあることに感謝していた。「気持ちいいねぇ〜!」「あー、なんだかここはいいね!」と、いつもの様に連発する。黙って感じれば、それでいいのかも知れないが、自分の口から発した心地よい言葉を、自分の耳から聞くのも、さらに心地よい。

  

国見峠直下(20mほどだが・・・)の分岐。
さつま街道は直進だが、「ケラガツカ」は右の堀切方面に進み踏み跡をたどる。

分岐よりすぐ「和石」方面への分岐 それからすぐ「堀切」の看板
何がどう堀切なのか判らない私である
  
  

快適な尾根道

大木も多く、時間を感じる。

  
  
ケラガツカ山頂448.4m 来た道を戻る
 
 

 「ケラガツカ」・・・何かの「塚」だとは感じていた。平坦な山頂は、ボーッとしていると青井岳方面への尾根筋に入り込みそうになる。不可思議な空間のケラガツカ・・・、後で調べると「家来を処刑し、それを葬り建てた塚」がこの場所ではないか?という説に出くわした、「家来を処刑した塚」・・・「家来の塚」・・・「ケライガツカ」・・・「ケラガツカ」。それも流れてきた時・・・自然の一部なのだろう。人の歩いてきた道や、周囲で起きたさまざまな事、そして人というもの自身、自然なのだろうなぁ〜・・・。周囲の木々を見ながら、快適に歩ける。
 「今度から、月に一度は水曜に休んで、一緒に山歩きをしようか!」そういう提案をママにしていた。家計を助けるために働き始めたママであるが、次第に自分内部の隙間が減っている気がした。本当は、家庭に居て、おおらかなだけで私には十分なのだが、世の流れに従う事は、自分を殺して従う事が多い。言いたい事を言い、それでまかりとおる環境に居させてあげればいいのだが、4人の子育てが、これから更にピークを迎えつつある現実に、家族で助け合い切り抜けなくては仕方ない。
 大して喋りながら歩くのでもないが、人は近くにいるだけで何かを感じ、理解し合い生きていくものだと思っていた。そして、その感じ方や思いは、いつも近い所にあるものだと思っていた。でも、それは一方的な考えである事ではなかろうか?毎日一緒に生活している夫婦でも家族でも、話し合い、それを行動で確認していないと判らなくなってしまうという事。それ以上に不明なのは、「考え」「意思」「行動」を、自分の意思で表現しているが、ある瞬間、ふと自分でも判らない考えや行動をとったりする・・・、そう、そんな自分も存在したりする。〜〜???ボケたんちゃうか???と、落ち込む事も多い〜〜。だから、人は判らない?のだろうか・・・。言った事、聞いた事、そして頼んだ事、その一つ一つを丁寧に確認しあう事の大切さを感じている。いや、自分の描いたような反応や返事が、ちゃんと返ってくるだろうか・・・と、怯えているのかもしれない。だから、人は「言葉」を持ったのかも知れない。自然の中では不自然な気もするよなぁ〜。
 
 大した事を妄想しているわけではないが、分岐まで戻り、山ノ神横から斜面を一登りで、三角点のある国見山山頂に立つ。しばし、座っておにぎりを食べ、熱いお湯を飲む。帰路は、スイスイと歩く。なんせ、落ち葉や、腐葉土となったフカフカの道は、まったく膝に負担を感じない。

  
 
寛政3年の山ノ神 国見山(峠)山頂407m
 
三角点を指差して・・・。 あっと言う間に到着!!
  
  

岩野屋集落から、薩摩街道が通る森を見る。
 
 
車で、番所跡に行って見る。 帰路、国道横にある「去川の関跡」へ立ち寄る

 やっぱり、自然の中を歩くのはいい。いいと感じるのは、ママに少し隙間が出来たと感じれるからだ。リフレッシュする事は、女性・主婦・母親・妻には、特に必要な状況ではなかろうか?いつものゆったりしたママに戻っている気がした。穏やかに・・・実に穏やかに会話が流れていく。「必ず、一緒に歩こうな!!」
 今日は、子供達が皆自宅にいる。何時帰ってもいい訳だが、注文していたテレビが届いたらしく、私も早く取り付けをしたいと思った。あれこれ段取りを考えながら、車を運転した。途中、「綾」へ寄り、物産館で何か買って戻ろう!という事になる。物産館の駐車場で、休み日でも追いかけてくる仕事の電話に対応した。物産館には、たくさんの有機野菜が並べられていた。あれこれ野菜を買っているママ・・・、私は以前から聞いていた「餃子」を買うように頼んだ。帰路の車内で、滅茶苦茶旨い餃子に感動した!おーっ、ビール!と、叫びたくなる。
 帰宅し、テレビを設置し最初に見た千秋楽・・・、横綱:【朝青龍 明徳(あさしょうりゅう あきのり)×白鵬 翔(はくほう しょう)】の、モンゴル出身同士の気迫ある相撲が見れた。そんな一日・・・。

  

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 自宅8:00----高岡町----高城町岩野屋集会場9:15----歩き始め9:30----分岐10:17----ケラガツカ11:00-----分岐11:40----国見峠11:45----休憩----国見峠発12:00----集会所12:42----岩野屋番所跡13:16----去川の関跡13:42----綾物産館----帰宅15:00

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