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投稿レポート

2003/07/11〜21
西都山岳会「NAMAさん

このレポート・写真の著作権は、「NAMA」さんにあります。
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西都山岳会ミツバレポート

バガブー山登攀記
カナダ・コロンビア州パーセル山脈

 バガブ−山域は、バンフの南西約200Km,パ−セル山脈に位置している。(バガブ-グレイシャ-・ブリテイッシュ・コロンビア州立公園)。南にバガブ−氷河、北にボ−ウエル氷河、その間に十数個のスパイア−(尖塔形の頂上)を有している。花崗岩の岩でロッキ-山脈・コロンビア山脈では唯一のロッククライミングエリアとなっている。

 バンフから1号線を15Kmほど北上し、西に分かれている93号線に入る。93号線を南下気味に{ラジウムホットスプリングス}で95号線に合する。95号線をブリスコまで北上しそこで左折して林道を西へ45Kmほど行くと「バガブ−ロッジ」である。ベ−ス予定の「ケインハット」は登山口の駐車場から徒歩で3時間登った地点にある。

 

7月12日(晴れ)  ふくらはぎケイレン

 ヤムナスカの難波さんのところに朝7時集合、7時30分頃にバガブ−へ向け、車2台に分乗し出発した。上記の道路を4時間のドライブの後バガブ−登山口駐車場に着いた。このときのメンバは、われら11人と運転手件ポ−タ−を勤めてくれるヤムナスカの2人+ポ−タ−2人、そして終始山のガイドをしてくれるトッドと食事の世話してくれるシェフの彼女で総勢17人だ。いつの間にか途中から車は3台になっていた。

 

-キングには、十数台の車が駐車してあったが、どの車も下側が金網で厳重に車の下になにかが入らないように囲ってあった。ボ−キパインに対する防御策だそうだ。日本で言うヤマアラシは車の下に入り込み、タイヤ・パイプ・コ−ド等を咬むそうだ。面倒でも下回りをがっちりガ−ドしなければ大変なことになるという事だった。

ここからは重い荷物を背負っての急な登りとなるが、3時間の苦労だと思えばそう苦にはならない登りだ。・・・と思ったのは間違いだった。皆きつい思いをしながらもゆっくりとだが確実に高度を稼いでいった。2時間も歩いただろうか、そんな時、腹痛が走り下痢となった。もちろん、下腹に力が入らなくなり苦しい登りと化してしまった。それに、両足ふくらはぎの痙攣が追い討ちをかけるように始まった。登り始めて2時間足らずで、こんなに頻繁に痙攣になる経験は、私の登山史上初めての出来事であった。塩をなめなくてはと思っても塩を持っていない、一緒に歩いていたI橋さんとS水さんが辛いものをいろいろくださるので手当たりしだいに食べたりなめたりした。そして、ついには醤油までなめた。おかげで痙攣も落ち着いてきたような気がした。しばらく休んで登り始めたのだが、30mくらい登ると痙攣が始まり、つま先を引っ張って痙攣を抑えることに必死になる。ここらは、夜の10時までは明るいので、皆には先に行ってもらい、私はゆっくり登って行くことにした。・・・が、登り始めると同じ事の繰り返しだった。それを繰り返しながら登ることは辛かったが、繰り返さざるを得なかったのである。ケインハットまで後10分くらいのところに来た頃、二人の元気のいい若者が降りてきた。I部さんとハッチーさんだ。私を迎えに来てくれたという。なんとも嬉しいが、後ちょっとだったのにという悔しい気持ちも浮かんだ。(先に二人は、I橋さんの荷物も自分の荷物の上に載せて小屋まで担ぎ上げたばかりだった)

 二人が荷物を全て持ってくれたのだが、痙攣は治まらなかった。小屋の中に入ってもそれはしばらくつづいた。小屋の中で突然へたり込み、足を伸ばしてアイタタタタターとするとI部さんが全身の体重を乗せてふくらはぎを伸ばしてくれる。小屋の中での移動にも相当の気を使った。ちょっとでもふくらはぎに力が入ろうものなら、容赦なく痙攣が襲ってきた。

ケインハットでの夕食時、明日の登攀の打ち合わせが始まった。明日からの登攀が心配になってきた私である。トッドの進言もあって旅の疲れもあるので、いきなりバガブ−の登攀はしないほうがいい、バガブーは小屋から小屋まで1214時間かかるそうだ。アプロ−チの短いピッチ数も少ないルトもあるからということだった。明日は、クレッセントスパイアーのクレッセントタワーに登ることになった。M澤氏チ-ムはK藤氏・Yさん・I橋さん・I谷君でル−ト名「ライ オンズウェイ」。NAMAチ-ムはO林氏・ハッチー氏でル−ト名「イヤ−ズ・ビトイン」を登ることになった。I部さんは、S水さんの付き合いでトッドとハイキングとなった。
 水分をいっぱいとり、塩分もおおめにとり、明日のために少し早めに寝た。外はまだ明るい10時前だった。

 

713日(晴れたり曇ったり後雪)バガブ−1日目

 朝時起床。起きるとすぐにふくらはぎの調子をみた。少し張るような痛みはあるが、昨日みたいにつったりはしないような気がした。すこし、嬉しかったが不安は残った。
 食事の用意はしてあったが、お菓子にミルクをかけて食べるようなやつだった。最初はおいしいと思ったが、甘くてあまり食べられなかった。弁当(備え付けのパンに野菜や肉を挟む)を自分で作り行動食(主にチョコ)を入れて
時に全員一緒に出発した。ハットから上のキャンプサイトまで30分、そこからクレッセントタワ−の取り付きまで3040分だった。初日のクライミングで張り切っているのだが、どうにも天気がイマイチだ。しかも、先行パーテ1組いた。ガイドと年輩の(後で聞いたが74歳だった)二人組みだった。

845クライミング開始
 1P(NAMA)先行パーティの老人が大変苦労しているので、ところどころ私のハンドをスタンス代りにしてあげた。
 
2P(ハッチー)リ-ド始めたころアラレが降り始め、雷が鳴り出した。
 3
P(NAMA)アラレが雪と変わり雲行きもすごく悪く感じられた。3Pを登り終えたところで先行のガイドが降りるという。私らにも降りろという。あと1Pで終わりだから登るというと、下降に34時間かかるから止めとけといわれて、彼らと一緒に懸垂下降で降りた。後で感じたことだが、彼らは10.5mmのシングルザイルだったので、僕らのザイルが必要だったのかも・・・。「イヤイヤ、下衆のかんぐりはよそう。天気が悪かったのだ。」

*ここのル−トの詳しいことは5日目リベンジを果たしているのでそのときに伝えよう。昼過ぎにはハットに帰り天気もあまり(雨が降ったり晴れたりの天気)よくないしのんびり休養となった。

 

714日(雨のち晴れ)バガブ−2日目

 悪天候を予想して沈殿(休養)。予想通り朝から雨だったが、昼ごろから真っ青な空が顔を出してきたので、私を含む若者?ばかりで、小屋近くのフリ−クライムエリアに出かけてフリ-クライミングを楽しんだ。ついでに周辺の偵察も兼ねて、スノ−パッチスパイア−、バガブ−スパイア−の周りのトレッキングをしてきた。また、どこかで足が痙攣しているのではないのかと、帰りの少し遅くなった私を心配してハッチー・I部両氏が捜しに出ようとしているところだった。

 夕食時、明日のバガブ−スパイア−登攀のことについて話し合われた。ケインル−トと北東稜(ノ−スイ−ストリッジ)の二手に分かれようということになったが、北東稜組は下降ル-トのことが問題だった。ケインル−ト組は待っていてくれないということなので自分たちで捜さなければならないことになった。バガブ−登攀の一番の問題は下降ル−トだった。下降ル-トはケインル−トなのだが、そのル−トのとり方がややこしくなっているのだ。多少の不安は残ったが、明日の朝4時出発と決まった。
ケインル−ト組 K藤氏・T井氏・O林氏・I橋さん・I谷君

北東稜組    M澤氏・I部氏・ハッチー氏・Y村さん・
NAMA

 

715日(快晴)バガブ−3日目

決死の600m懸垂下降

4時出発。夏時間のため4時はまだ暗くヘッドランプを点しての出発だった。30分ぐらい登ったところでケインル−ト組との別れだ、彼らはバガブ−スパイア−とスノ−パッチスパイア−のコルを目指して長い雪渓(100mくらいは急な雪壁だ)を登らなければならない。私ら北東稜組は先日のクレッセントスパイア−とバガブスパイア−のつながる岩稜帯の一番低いところ(コル)を目指して、雪渓 を黙々と歩く。ところどころ雪解けの進んでいるレイクに落ちないようル−トを考えながら歩く。ゆっくり歩いていると4人の元気な白人の若者がわれ等を追い越して行った。彼らも北東稜に取り付くみたいだ。

 530コルの真下に着くと50mほどの急な雪渓となっていた。600、右斜めに上がっているガリ−のところで、先行パ−テイ−はザイルを組んで行ったが、われ等はノ−ザイルで1P上がった。2P目からはザイルを組んだ。3P目は左方向に直上する。見晴らしの良い稜線のコルに出た。そこから急斜面の雪渓をPほどコンテで行き、50m一杯ほど3級程度の岩を登るとバガブ−・ノ−スイ−ストリッジ(北東稜)のル−トの取り付だ800着。先行パ−テイ−が取り付いていて時間待ちとなった。見ていると少し遅いような気もする。プロテクションのとりすぎのような気もする。ついにM澤御大将が口を開いた。「ちょっと慎重すぎて遅いね」。

 40分待ちの8:40取り付く。トップをM澤さんから指示された私は、無様な姿は見せられないと、緊張しながらも張り切ってスタ−トした。1P目は5.8レイバック・ジャミング・スラブと快適なクラック登攀であった。上部に2mくらいのトラバ−スがあったが、なぜかフィックスロ−プが張ってあった。先行パ−テイ−にすぐに追いついたためか、「ア−ユ−ガイド」と聞かれた。トロントから来たカナダ人だった。2P目5.6は岩溝状になっているところを左上するとテラスみたいなところに出る。そこを左に少しトラバ−スする。上がりすぎると左に2mくらいのクライムダウンとなる。
 3P目5.7は細めのバンド状沿いに右上するが、途中バンドが切れているところのトラバ−スがすこし微妙だった。4P目5.6はコ−ナ−。5P5.6からは稜線上。稜線に出たらナイフリッジの切り立ったところを、恐怖感にさらされながら登るのだろうと楽しみにしていたのだが、意に反してガリ−状だった。
 50m登ってはピッチを重ねるだけで、いつの間にか10P目のノ−スサミットに着いていた。両サイドに切れ落ちていて高度を感じるのだが、スリル感を満喫できるほどではなかった。
 登攀終了14:20 昼食。

 さて、これからが問題のサウスサミットへの縦走とケインル−トへの下降となる。先行パ−テイ−のカナダ人が何度も私に聞いた。「ここは初めてか」「イエス」というと残念そうな顔をしていた。彼らも下降ル−トを知らないから不安がっていたようだ。
 ノ−スサミットの手前を東側に10mほど懸垂下降をし、稜線の下を横切りながら50mほど行く。少し登って今度は西側斜面に出る。25mの懸垂を2回ほど繰り返すと稜線上に向けて50m・3級程度のクライミングとなる。そこから10mほどクライムダウンで進むとサウスサミット下の東側斜面を覗く。
 16:20ここにラッペルポイント(懸垂下降地点)があった。いきなり稜線に沿いながら50m一杯の下降になっている。ここらに登り返すところがあるはずだと思い、探すが見当たらない。先行パ−テイも次を懸垂している。
 次のラッペルポイントもしっかりしたものが用意してあった。当然ここを誰もが下るものと思うほど、立派なラッペルポイントだ。50mの垂直下降だった。後で反省したことだが、ここらでどこか稜線上に登り返していれば、ル−トを間違えずにすんだのだろう。そして、ここをいきなり50m下ったのがウンのツキだったのだ。次はM澤氏が先に下りた。先に降りたけどなかなかたどり着かない。どうしたのだろうと心配しだした。途中で宙ブラリンなんていやだよ〜。少し不安になってきた。なにか下で声がする、テラスまで2・3m足りないそうだ。先輩がいろんな技を駆使してクリアしたのだろう。しばらくして降りて来いという声が聞こえた。(ここは、自分でなくて良かったと思った)。下を覗くとぞっとするような高度感と果てしない下降のピッチ数が頭をよぎった。3回の下降が終わったところで稜線のほうに登り返してみた。20mほどで稜線に出たがただの岩稜でその先は果てしない絶壁が続いていたし、上にはロックタワ−がそびえていた。ここまで来ると二人組みの姿も見えなくなってしまっていた。決心のときが来た。M澤氏が「下までこのまま下ろう」と意を決した口調で言った。大懸垂下降の始まりだ。それからのピッチ数は覚えてないが、目線を横にしてその下の高さをみると、まだ300m以上はあるように思えた。不思議なことに50m一杯のところに、なぜか大きなテラスが待ち構えていた。そこらあたりを捜すと必ずラッペルポイントが見つかった。

 ほとんど垂直に5〜600mを下る懸垂下降は、そうとうな精神的疲労を覚えるはずだが、誰一人として弱音をはかなかった。むしろ楽しんでいたのか、さすが鹿川庵のメンバ−だと思った。
 かくして大懸垂下降が終わって雪上に着いたのは22:30分。
■後で聞いたことだが、この下降は小屋でもジャパニ−ズがとんでもないところを下っていると大騒ぎになり、双眼鏡等で見物していたそうだ。■
 心配してくれたケインル−トの仲間たちも雪渓の上まで迎えに来てくれていた。彼らのヘッドランプの明かりが、焚き火のように暖かく感じられたのが嬉しかった。彼らに会い、暖かいはずのホットポカリスエットを飲んだ。おいしかった。途中トッドまで迎えに来てくれたのは嬉しかった。小屋に着いたのは12:10だった。
 20時間のクライミング山行は非常に疲れたのだろう、食事をして、皆としばらく話して、1:00頃には服も着替えず寝てしまった。ふと、目を覚ますとM澤さんとT井さんの声が聞こえてきた。酒を飲んでるのだろうか、4時だった。M澤さんはなんと元気のいい人なのだと、感心した。

 

7月16日 快晴  休養

 今日は朝から雲ひとつ無い天気。昨日の戦いの疲労感が心地よく絶好の休養日だ。ここの寝室は、分厚くふかふかの大マットなのでぐっすり眠れた。今日は、寝たり起きたり、洗濯したり、身体を拭いたりしよう。山の上の小屋で、クライミングに疲れて、真っ青な空の下で思いっきりノ〜ンビリするのが、あまりにも贅沢すぎて妻に悪いなと思った。

7月17日 快晴  クレッセントタワ−クライミング

 天気もいいし、体の調子もいいし今日は小屋のすぐ側にそびえているスノ-パッチに登りたかったが、疲れも完全に取れてないということで、初日に雪で下降したクレッセントタワ−のリベンジとなった。
 I部氏・ハッチー氏はその先のブレンダ−スパイア−の方にガイドのトッドと出かけた。
 朝7:00 全員で出発 8:00クレッセントタワ−の下に到着。ここで、M澤御大将が空を仰いでおっしゃった「今日はここまでにしとこう・・」この言葉に俺も・・、俺も・・、と座り込んでしまったのがK藤氏・T井氏・I橋さん。昨日の休養日に飲みすぎたらしい。飲みすぎたってもんじゃない、そんなもん、はや通り越している。もって上がった6日分は2日で飲み干し、下の酒屋に荷揚げさせ、それも飲み干し、これからの酒の調達に頭を悩ましていた人たちだ。・・・と、このことに触れると1ぺ-ジや2ペ−ジでは書ききれなくなるので、この辺で止めときます。

 今回のメンバ−はNAMA・O林・Y村・I谷の4人だ。前回、調子のあまり良くなかったO林氏が「今回は調子良いのでリ−ドさせてもらえんかね?」と言われるので、気持ちよく譲った。
 イヤ−ズ・ビトウィ−ン(5.8)取り付き8:45  タワ−の基部の左サイドに行くと人がやっと歩いていけるほどのバンドがタワ−の中央部に向けて右上している。100mほどノ−ザイルで上がってゆくと上部チムニ−の真下に着く。そこら辺がイヤ−ズビトウィ−ンの取り付だ。残置ハ−ケン等の取り付き地点を示すものが無いので、絶対ここがそうだという保証はない。完璧なナチュラルプロテクションの世界がここにはある。

 1P目から快調にO林氏が飛ばしてザイルを伸ばして行った。5.4〜5.7のこのルートは、快適な登りと、適度な高度感を提供してくれる。快調な64歳のO林氏は真っ青な空に吸い込まれるように何度か消えていった。最後の4Pは垂直に立ったチムニ−でチョックスト−ンもあり、ちょっとシビアであった。力で攀じ登るこの場所は、女性のY村さんにはチョットきつそうだった。バガブ−・スノ−パッチ・ピジョン各スパイア−や氷河が一望に見渡せるタワ−の頂上に立つと、絶景であった(12:10)。下りは、そこから懸垂下降で下る、このピッチは空中懸垂20mだった。その後右に回りこむように踏み跡を探しながらゆっくり歩いて降りた。途中でまた道を踏み外したみたいで、最後に1回懸垂下降40mでガレ場の鞍部に下りた(14:20)。途中、磯部さんたちがはるか下の雪渓を下山中で手を振って合図した。ケインハット着は(15:20)だった。

 ケインハットの中でお茶を飲みながら雑談していると、突然、皆の歓声が上がった。大内氏の登場だった。ネパ−ルでアクシデントに見舞われ、日本に帰るのが大幅に遅れるのでバガブ−に参加できるかどうか分からない。と言う情報を貰ったきり連絡の途絶えていた大内氏だった。「カトマンズから成田空港・カナダと飛行機を乗り継いだのでくたくただ。」「テントまで担いできたので荷物が30Kgはあったよ。」と言っていた。57歳なのにタフな人だな〜と思った。大内さんの登場で俄然活気付いた我がジャパニ−ズ隊は、バガブ−滞在最後の日になる明日はどこを登るかと言う話し合いに入った。
 いろいろと検討の結果、O内さんがスノ−パッチに登ろうということになり、NAMA・O林が手を上げ、大内さんの子分のI谷君が仕方なしに参加することになった。その他の皆さんは短時間でサッと登るのに良いイ−ストポスト・スパイア−に上ることになった。
 ル−トは下降のポイントにもなっているKraus‐McCarthy Route クラウス・マッカ-シ- ル-ト W5.8+ 8ピッチに決まった。

 
7月18日 快晴 スノ−パッチ クライミング  

 今日も神様がくれた最高の天気だ。4時の予定が、起きたのが4時で5時の出発となった。日本食のアルファ米にお湯を注いで弁当とする。この方法はなかなかいい、昼食が美味いのである。今日で、4回にもなる取り付きへのアプローチは、ゆっくりと登れば苦になる道のりではなかった。バガブーとスノーパッチのコルの下に差し掛かった頃にバガブースパイアーとスノーパッチスパイア-が朝日に光り輝き、その美しさにしばし見とれた。バガブーとスノーパッチのコルに上る200mくらいの雪壁は上部に行くにしたがって急斜面となり、硬くクラストしていたのでアイゼンを着けてなかった私は、蹴りこむのに苦労した。
 コルを越すと私にとっては初めての景色が視界に入ってきた。藍よりも青い空に突き刺さろうとしているピジョンスパイアーの尖峰。女性の肌のような、滑らかな岩肌に見えた。広く大きな雪田のはるか先にはハウザースパイアーの尖峰群があった。そんなロケーションの中をゆっくりとスノ-パッチ西壁のクラウス・マッカシールートの取り付を探しながら歩いた。

 コルを越すと私にとっては初めての景色が視界に入ってきた。藍よりも青い空に突き刺さろうとしているピジョンスパイアーの尖峰。女性の肌のような、滑らかな岩肌に見えた。広く大きな雪田のはるか先にはハウザ−スパイア−の尖峰群があった。そんなロケーションの中をゆっくりとスノーパッチ西壁のクラウス・マッカシールートの取り付を探しながら歩いた。
 大内さんが「ここだ」と言って足を速めた。取り付きまでは50mほどの急な雪壁を登ったところにあった。前にも述べたが、ここが絶対だと言う証拠は何も無いナチュラルプロテクションの世界だから。それに、雪解けの状況次第でも取り付きの位置が何十mも違ってくる、すご〜い世界なのだ。7:10
 「私にもトップいかせてくださいヨ」と言うと「つるべで行こう」と快い大内さんの返事だった。1P(大内)クラックからチムニ−になる50m。2P(NAMA)チムニ−を出たところから細いクラックになり左上するとスラブとなってきた。ここらでル−トのとり方が難しくなってきた40mで切る。ナチュプロの場合下手に進むと確保点が無い場合がある。3P(大内)スラブを少し上がったところで左にトラバ−スする30m。4P(NAMA)ガリ−を直上する50m。5P(大内)ガリ−を直上40m。6P(NAMA)ここでしばしル−トに行き詰まる。左手から大きく張り出した大岩と右手のスラブの交わる部分にクラックが頂上まで走っている。そこにチャレンジしてみた。3.5番のカムをかませて右手のスラブを攀じるが、傾斜がきついのでフリクションはまったく効かない。何度かの挑戦の後あきらめた。右手のスラブに目をやると、トラバ−スできそうな細いバンドが20mほどあった。こんな高度でトラバ−スはいやだったが仕方ない。5mほど進んだところのスラブにボ−トが打ち込んであり、ナットがはめてあった。ここがル−トに間違いないことが分かりホッとした。ナットの下に細引きを巻きつけプロテクションをとった私は先に進んだ。ここのトラバ−スは鹿川の鋒岳のトラバ−スを思い出させた。20mほど横切ったところに直上している、突き出た岩のクラックと斜め右上している10cmほどのクラックの分かれ道があった。細いクラックのほうは手がかりが全くなしだった。直上している、突き出た岩の間に小さなハ−ケンを見つけた。ここを上がるとザイルが滑らなくなるので、ここで切った。7P(大内)10mほど上がったところに3・4人が立てるテラスがあった。8P(NAMA)大内さんに申し訳ないと思った。核心部の全てのピッチが私に回ってくるようで、一言「大内さん、悪いですね〜」と言った。

 テラスから右のほうに頂上に向かって走っているクラックがある。「あれがル−トやが。」と言って、再びトラバ−スに挑戦。先ほどより狭いバンド、片足が半分乗るくらいのバンドをトラバ−スした。10mほどのトラバ−スだった。気持ち悪いが、思ったより簡単だった。そこから直上しているクラックはフィンガ−から20cmくらいまでのクラックだった。何年先に登ったのだろうか、泥に埋もれて草花が咲いているこのクラックには、手がかりが何も無かった。泥をどけてクラックの掃除をしてみた。するとどうだろう、リスや割れ目が出てきた。クラックの掃除にはナッツキ‐が便利だった。それを繰り返し登ってゆくと困ったことが起きた。自然の割れ目に見合うカムやナッツを数多く持ち合わせていないことだ。昨日までのクライミングにはそう不自由しなかったので、深く考えないようになってしまっていたみたいだ。私のマイクロナッツも下においてきた。大内さんの持っている全てのギアをロ−プで上げてもらった。狭いクラックではナッツの小さいのが、大きなクラックでは3.5番のカムが、合うのが足りない場合は下ってはずして、それを使った。クラックを掃除しながら微妙なスタイルで登る様はスリル満点であるが、滑ったらプロテクションが外れて落ちてもおかしくない状態だなと思った。最後は微妙なフリクションでずり上がるとガバホ−ルドに手が届いた。その瞬間は怖さを克服した瞬間であり達成感による充実感が全身を覆っていた。10mのトラバ−スと30mの微妙なクラック登攀だった。

 

 今回の山行はいろいろあった。20時間に及ぶクライミングと懸垂下降。クライミング中のアクシデント。一山行で2回の出来事は私にとってはすごい出来事であった。それぞれのアクシデントを何事も無かったように処理できたのは、二人の大先輩がパ−トナ−だったからだ。
 パートナーが良いとクライミングも冴えてくる。力も湧いてくる。日本を代表するといっても過言でないお二人とパーテイーが組めて、しかもリ-ドさせてもらったことは私のアルパインクライミング史上最高に名誉なことだった。ありがとうございました。
 お酒のこともいろんなエピソ−ドがいっぱいある。文章に書きたいが、いろんなところに支障が出るといけないので今回は止めにする。
それにしても・・・・皆お酒に強いわ〜!!

 NAMA筆

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