なんとか意識を持続して望んだ登山である。私の中で、何かが違って来ている気がしてならない。頭がボンワリしている。ここ2ヶ月ほど頭痛や首筋の痛み
や、なんとも言えない嫌悪感があるような気がしている。妙な眠気を、いつも感じている。山岳会に所属する意味や、山に登る事の意義を見失っている。いや、
「なんで?」とか聞かれたり、「どうして?」と自問することがとても辛い。自分の周囲をもっと単純にして、もっと「どうでもいいや!」と生きていかねば壊
れる気がしてしまう。まだ客観的に思える間に、そうしなくては今の自分を見失いそうな気がする。「水流渓人のページ」として書き続けて来た事が、今となっ
ては足元を見直す足跡となり再認識できる良いツールにも思える。親父の死んだ年齢になった事?娘の受験?仕事に対する不安?いままで、受け入れて向かって
来た!でも、日々を過ごすことがボンヤリしている。どうしてなんだ?と考えると、また複雑になる。どうして?と考えなくて良い環境に身を置かなくて
は・・・と、今、焦っている。このレポは、娘の受験が大成功に終わって書いているのに、やはりボンヤリしている。
地形図通りに、ずいぶんな急登だったが、体力の衰えは感じなかった。むしろ順調に歩けた気がした。いつもなら膝の痛くなる下山も、実に順調だった。
以前、家族で登り、山岳会の例会でも登っているが、生駒登山口からである。最近では、高千穂河原か
らロングに歩いてもいる。そう考えると、別に夷守岳である必要も無かったが、急登が良かった。生駒高原から左折し、開いたゲートを過ぎると分岐がある。右
に「林道登山口」という標識をみつけ、歩いていないコースを選択するのは当然の行為である。しばし林道を歩くと、立派な登山口が地形図で予想した位置に
バッチリ設置されていたので嬉しくなった。「危険」と貼られた看板は何?だったのか判らぬほど、整備されたコースだった。少し多すぎる看板ではないか?
と、有難い整備を受け入れながらヒーハー山頂に立つことが出来た。登れば歩けば文句無い!のは、登山者の心理である。
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