8月、冒険の旅は終了する。気合い充分に、そして純粋に「山」に向かい合った。それは、何の邪念も無く、自己への挑戦だった。何年かけて・・・いや、どれ
くらいの経験を積めば、私は自らの挑戦を実行に移せるのだろう・・・と思い悩み、そして恐れてきた。積み重ねてきた数々の登山や登攀は、周到に自分に蓄積
され、この計画を終了させる事が出来た。恐れるに足りない?そうではなかった。そうではなかったのだ。私の挑戦は、数々の岩場を攀じる事や、未踏のルート
に向う事では無かったのかも知れない。本当に、純粋に根子岳のギザギザを歩きたい!と思った。この夏、岩登りで6級ルートへリードで挑んだ。チョンボした
が稜線へ抜けた。沢登りで初めてのルートへ挑戦し、しっかりとコースを辿り山頂へ立った。だから、根子岳だったのか?この山への挑戦を終えて、3週間が過
ぎようとしている。なんと書けばいいのか、書く理由を見失った感じでいる。誰も、この記録に反応しないで欲しいと思っている。
足元を見てみるがいい!ロープを繋ぎ、クライミングシューズを履き、谷底が見えているじゃないか!あの頃、てこてこと歩く娘や息子達の姿があったはず
だ!子供たちを勇気付ける厳しいママの声が聞こえていたはずだ!今は、ロープには家族が繋がらず、岩場にその声は響いていない。山や岩に対し、純粋になる
と言う事は、そういう事なのだろうか?私の目指す所は、すでに家族全員での域を超えてしまっているのだろうか?いや、家族でその域に踏み込みたくて、なら
ば強いリーダーシップと技術と経験を積み重ねなくては・・・と考えていたはずだ。でも、その気持ちは家族へは届かず、自分の欲だけの域に到達したのではな
いだろうか?そんなはずでは無いのに、そんな状況が出来てしまっている。根子岳の縦走を終え、満足げに露天風呂から眺めた景色が、今はボンヤリとしてい
る。雲が垂れ、山が覆われている感じがしている。スッキリと晴れ渡る思い出に戻すために、私はどんな努力と修正をしたらいいのたろう・・・と焦っている。
強く思っている。
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