気が付けば、私は「300座」目の登山が、この双石山となった。この登山日記を書いていて気付いた。勿論、今までで300座という事ではなく、家族と歩
き始めてからの記録である。しかし、双石山が私にとって特別な山でもあり、その特別な山で、気がつきもせず300座であることも嬉しい事であった。
私が初めて登山を経験したのは、親と一緒ではなく、中学1年に思い立って友達とこの山に訪れた。山へ向かう途中の靴屋で、親父が月星製のキャラバン
シューズを買ってくれ、登山口に送ってくれた。乏しい記憶を辿ると、この時、私は塩鶴登山口〜第2展望所〜加江田渓谷〜鏡水と歩き、木花駅まで歩いている
気がする。途中、どこかの高校生達と一緒になり、加江田渓谷に下りた記憶がある。
どうして当時、双石山を選んだのか?それは、母の影響によるものである。昔、母が宮崎大学の研究室に勤めていた時期があったそうだ。そこの教授が、加江
田渓谷や双石山をいつも研究のために歩いていたらしく、母も何度か同行したことがあったみたいだ。その時の加江田渓谷は「日向ライン」と呼ばれ、多くの宮
崎の人たちに親しまれていた。おリに触れ、自然の素晴しさを語るとき、必ず母の話に登場していた「双石山」である。友と登り、その後何度かキャンプにも訪
れている。ついには、岩登りという場面に遭遇したのもこの山であり、強い憧れ抱いた。
この日、あての無い山行であった。ぼんやりと「双石山」なら、ママの仕事先を経由して登山口に行けると考えていた。「北壁」「ヤッコソウ」「奥の院」と
いうキーワードはあったが、すべてに遭遇できるとは思ってもいなかった。塩鶴登山口、小谷登山口を過ぎ北壁の直下辺りになるルンゼ状を登る。突き当たり、
左へと岩壁の基部を沿う様に登る。古いリングボルトを確認する。「MUACアブミトレーニング」?と、岩肌に掘られている。垂直の壁に挟まれた空間から、
いくつものルートを見た。今、どれが登れるのだろう・・・と、どのピンも骨董品である。我等が先輩達が開拓したと言われる「学院ルート」がどれだかとても
気になる。2段ハングになった主張の強いルートは確認できた・・・。かつてのピン横に、忠実にもう1本ピンが打ち足され、ルートの消失を防ごうとの意思が
感じ取れる。いつの日か、必ず・・・と満ちた気持ちで岩場を後にした。
登山道に合流すると、大岩展望所まで一気に登る。水筒から熱いコーヒーを一口。スタスタと尾根コースを辿り、山小屋を通過する。途中、諦めていた「ヤッ
コソウ」に出会え、地面すれすれに腹ばいになってしばらく覗き込んだ。山頂には女性の登山者が2人でお弁当を広げていた。挨拶をして通過する。山小屋を通
過した辺りですれ違った人に、奥の院方面へのコースをボンヤリと聞いていたので、手前の歩いたことの無い尾根を降りる。踏み後が多いので、ここだろ
う・・・との予想だが、すぐに「大奥の院磨崖仏」へ着いた。休まれていた方が、詳しく説明をしてくれ、霊場としての双石山を感じた。後はいたるところに設
置されたトラロープを握りながら降りて行くと、先ほどの方が説明してくれた通りの場所に、「奥の院」があった。ここの先端まで、木を掴みながら出てみる
と、断崖絶壁を強く感じる場所である。ここで座禅を組んだ?とか・・・。岩はとても脆い「さざれ石」状で、触るだけでポロポロ・・・ぼろいし・・・双石山
である。姥ヶ嶽神社へ、焚火用の薪を担ぎ上げる。いい事をして引いたおみくじは「大吉」。車道へ出ると30分歩いて駐車位置に戻った。
気にしてもいなかった「300座」であった。厳しい登攀を繰り返していたこの時期、一人で歩いてみる事の大切さも判った。それ以上に、仲間達との山、家族との山・・・、私は回数を重ねる毎に山や自然に対する敬意が深まってきている気がする。
|