この山は、「家族登山」のきっかけになった山である。30分程度で登れるから・・・とか、天気に恵まれ景色が良かったから・・・というのも理由の一つか
らかも知れないが、「登山」という行為そのものが、家族をこれほどまでに近くに感じることは無いと思ったのが一番の理由である。
その時、親戚あずけにされた次男を含め、家族全員で山頂に立ちたいと思った。そして、ママが間もなく100座目(1996年の丹助岳以来)を迎えるので、その山頂で、もう一度「家族登山」を振り返り、考えてみたいと思った。
私は、近場の山歩きを始めて、多くの人達と知り合えた。また、多くの本当のことが見えてきた。傍らの「花」に、見上げる圧倒的な景観に、見下ろす景色
に、心を打たれ・・・そして打たれた。次第に、もっと強く打たれたい気持ちの高ぶりを閉じこめることは出来なかった。山を高さで評価したのだろうか・・・
いや、そんなことはない。山行を高度差や距離で判断したのだろうか・・・いやそんなことはない。ならば、どうして「沢」を歩こうとするのだろう。ならば、
どうして「岩登り」なのだろう・・・。多くの価値観や、嗜好や、感じ方は、人それぞれであるのは言うまでもない。でも、そこに人が絡めば、価値観を主張し
たがる傾向にある。私もそんな中にいるのだろうか・・・。はっきり言って、私は山の会に属しているが、その会の「価値観」は理解していない。知らないと
いった方がいいのだろうか・・・、聞いても仕方ない気もする。自己の山行スタイルこそが・・・と、強いて何にもならない事が見えてきた。人それぞれが、
「自然を受け入れながら、自然を楽しませてもらっている事に感謝しながら、最小限のインパクトを気にかけながら・・・。」であれば、それだけで良いのでは
ないだろうかと思っている。
「岩」をやるなら「アルパイン」スタイルでないといけない!とか、「山」をやるなら・・・とか、そんな定義や価値観は胸に仕舞い込めばいいと思う。今、
この丹助岳に立ち、私は比叡や鉾などのルートで岩登りをする事も、なんら違う位置づけでなく、むしろ同じ「自然を楽しませてもらっている」行為だと思え
た。しかも、そこには私が一番深い喜びを感じる家族が一緒にいる。
雪の中を大騒ぎしながら少し歩けば山頂である。でも、そこには以前とは違う、次男も含めての家族全員がいた。360度のパノラマを楽しみながら、家宝に
なる集合写真を写した。あれこれ志向を凝らさなくても、皆で出かけるだけで、たくさんの感動が隠されている。要は、それに気付ける感性を持っている
か・・・、そういうスタンスをもっているか・・・であると思う。私は、そんな家族の安全を確保できる技術や視野を維持していかなくてはならない。それが、
仲間との山行であり、岩登りであればいい。
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