水流渓人のページ「登山日記」No.171
 
2004/10/6

「白亜スラブルート」
比叡III峰
取り付きから見上げる 3P 終了点にて
 

 
【1P/35m/III+】階段状になっているバンドが右上がりに走っている。見た目より簡単だが、登り始めのこわばった体には、「III+?」と感じ る。草付き手前のトラバースもいい気分ではない。振り返れば、すでに綱の瀬川が見え、矢筈岳が迫ってくる。
【2P/25m/VII-(5.10b)】出だしからきつい傾斜になっている。実に微妙なバランスでクラックにホールド・スタンスを取るが、難しいレイ バックとなる。どうもムーブが摑めず、すでに腕と指はパンフ寸前。私はアブミに頼りきりとなるが、それでも難しく感じた。左上後、平行ピン手前がトラバー スとなる。
【3P/45m/VI+(5.10a)・A0】その名の由来となったルート中央の白いスラブを直上する。薄いフレークをスタスタ上がると、中央に走るフィ ンガークラックへ移る所が少し思い切りがいる。かかりが良いフィンガークラックだと思っていると、だんだん傾斜がきつくなり、しかも45mも続くと体力も 限界となる。最後の5mでとうとうアブミの世話になってしまった。指に力が入らず、回復を待って次のピッチへ・・・。
【4P/35m/VII-(5.10b)・A1】印象的な大ハングの左のコーナーから、左のハングを越える。コーナーはクラックもかかりがよく、ピンに立 ちながらハングへ到達できたが、どうしてもハング上にいけずハング上のピンにアブミをかけて立ちこむ。しかし、ハングでアブミという状況も初めてで、なか なか安定せず恐ろしかった。しかし、このピッチの核心は、ハングを越してからの左垂壁であった。完全に消耗した体力で垂壁のクラックを捉えるのはきつい。 リードした小松の親分も相当苦労したのが判る。かけた時間だけでなく、ピンだけでなくクラックへフレンズが2本セットしてあった。確保の為でなく、前進用 であることが判る。フレンズにスリングがセットされ、ロープは通っていない。外形したクラックを保持できる体力は無く、フレンズにぶら下り前進したのが判 る。リードでやってのけるのだから、精神力の凄さが伺える。私は、アブミに乗るが、下のアブミを回収するのに必要な握力がすでに無く、上にかけたアブミに 肘を通し下を回収した。限界がそこにきていることが判っていた。ほんの2m上で確保している小松の親分の顔を見ながら、精神力だけでそこに留まっていた。 リタイアするわけにはいかない!このルートは、今日終らせて置かないと、2度と来ないかも知れない!いや、2度と来たくない!その気持だけが強く全身を包 んでいた。一呼吸置いて、なんとかもう1つ上のピンにアブミをかけ、草付きの小テラスに這い上がった。強い吐気を感じ、両腕がただ震えていた。放心状態 だった。後ろから登ってこられた山口県のクライマーの方に、私が回収忘れしたアブミを渡していただくまで、気付かなかったのだ。
【5P/25m/V+(5.7)】どれぐらい休憩しただろう・・・。山口県の後続組に先を譲り、体力の回復を待った。小松の親分には悪いが、十分な休憩が 欲しかった。緊張の余り、行動食を取るのを忘れていた。すでに3時を回り、朝から何も食べていない事に気付く。バナナを食べ、冷たいお茶を飲んだ。後、 25m・・・。あれだけ2度と来たくないと思いつつ登ったこのルートを、今度は完結の喜びで登っている自分に気付く。終了!そして、3ヶ月半ぶりの握手で ある。
 
 その自分の登り方にはこだわりは無い。とにかく、5Pを終了させた事が、強い意義だと感じている。しかも、この卓越された厳しいルートに、こんな私がし がみついていたという事実は、生涯消えない記憶であり「誇り」に思えるからだ。いつもの様に、開拓、そして整備された方達の思いを感じつつ・・・。
  

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自 宅6:00----都農神社6:35----駐車位置8:55----取り付き9:00----登攀開始9:25----2P開始10:00----3P 開始11:30----4P開始13:10----5P開始15:30----登攀終了16:00----昼食----下降開始16:35----下山 17:00-----帰路へ----日向・お舟出の湯----自宅着19:40 
 
参加者 ぱぱ まま 長女 次女 長男 次男 ゲスト
出欠           西都山岳会
年齢 45           小松の親分
ピーク合計 221            
 
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