水流渓人のページ「家族登山日記」No,56
2000/9/20
斟鉢
500m
膝痛・腰痛同行二人 遊歩道脇にたくさん咲いていた 遊歩道から分かれ急登が始まる
斟鉢山山頂 イワタバコ 新設かえで橋
 
 「斟鉢山」(くんぱちやま)、なんとなく愛嬌があって、ずっと気になっていた山名である。中学から高校にかけて、何かと言えば、友人を誘ってキャンプした「加江田渓谷」。当時は、丸野駐車場までバスが走っていた。自転車で行ったり、宮崎市内から歩いて行ったりもした。トロッコ道跡の遊歩道をはさみ、右に「双石山」左に「斟鉢山」である。
  双石山は、その頃、何度となく登り、岩登りにあこがれて、真似みたいな事をしていた。カチャカチャ鳴るカラビナやハーケンが、とてつもなく夢をかきたてた。乏しい小遣いで5個のカラビナと、10個のハーケン、ハンマーが揃った。高価なザイルは買えず、金物屋で工事用のナイロンロープを買った。友達を誘い、岩場へと行った。3メートルも登れば、打ったハーケンと手製のアブミは、スポンと抜け落ち私は落ちた。あこがれの岩登りが閉幕を迎えた瞬間でもあった。
  あれから25年後、双石山へ登った。山登りを再開し、家族登山なるテーマを掲げて58山目であった。けっこうきつい登りだったが、鳥肌が立つほど感激した。あの頃と何も変わっていなかった。そんな思いをもっと探りたくて、「斟鉢山」に向かった。加江田渓谷を見たかったからだ。
  トロッコのレールも残っていた。堰堤は増えたが、きれいな流れはそのままだった。そして、その川を横切り、斟鉢山の山頂へ向け尾根にとりついた。体の状態はすこぶる悪い。私は上へは曲がるが、下山方向へは涙がでるほど痛い膝になっていた。女房は、尻から腰へかけての筋がシビれていた。ストックへ全体重をかけないと前へ進まない。いままで根をあげても、絶対文句を言ったことのない女房の口から、文句がこぼれた。
  急登の跡は、アップダウンのギザギザの稜線である。寸前で、私も根を上げそうになったが気分だけは晴れやかで、ようやく山頂標識にたどり着いた。山頂まできたが、帰りは私より女房の方が心配である。今や我が家で下山の鈍足は第1位であるからだ。
  食事を済ませると、いよいよ下り始めるる。しびれた女房の足は最悪である。時々、足首がカクンと曲がり、相当な苦労を強いられ、いよいよ病院行きが決定した。私は痛くない、悪くないと自己暗示をかけながら、紅葉待ちをしている。
 
8:45次男幼稚園に預ける−−9:55丸野駐車場登山口−−10:35かえで橋−−12:40山頂−−〜昼食〜−−13:10下山−−14:39かえで橋−−15:30丸野駐車場−−17:00自宅着
 
参加者 ぱぱ まま 長女 次女 長男 次男 ゲスト
出欠        
年齢 41 40          
ピーク合計 82 47          
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