水流渓人のページ「家族登山日記」No,54
2000/7/19
大山
1、713m




 




 




 
大川寺より イヨフウロ 弥山山頂
 
 夜を徹して高速を走り、大山に近い「米子道路」で夜が明けてきた。左に米子・境港方面に雲海が漂い、右に大山の東壁が朝日に染まった。円錐形に見えていたが、登山口になる「大山寺」に着き、見上げた「大山・北壁」は、大きくえぐれ、この登山のきっかけとなった深田久弥氏の言葉を思い出した。
“大山がそれ以上に私を感歎させたのは、その頂上のみごとな崩落ぶりであった。東西に長い稜線は、剃刀の刃のように鋭くなって南面・北面へなだれ落ちている。まるで両側から大山を切り崩しにかかっているふうに見える。”
 今回は、4月に霧島で知り合った、カナダ国籍の落合君も同行する事を、電子メールで約束してあった。約束通り朝9時前に、さわやかな笑顔で現れた彼と、話もそこそこに歩き始めた。家族全員登山の予定だったが、龍4歳がとうとう解熱せず、女房と車待機になってしまった。
 多くの登山者達の踏み跡で、土砂が流出するのか土留めのされた道を、始めは楽しく、次第に言葉少なく、5合目には息絶え絶えに登る。しばらくの休憩の後、ほとんど徹夜の体調に、子供の休憩のペースがありがたい。次第にスケールを増す風景と北壁は、すべての疲れとストレスを吹き飛ばしてくれた。さすがの大山である。平日でも多くの登山者を、頂上台地に抱き込んでいた。ポッカリ咲いたイヨウフロのピンクの花が、ダイセンキャラボクの中に優しかった。この眺望を一緒に味わえなかった女房と次男の為に、できるだけ多くのシャッターを切った。
 下山時、元谷へ右折すると、優しいブナの森と激しい北壁の崩落が、余りにも対照的だった。ゴールに迎えた大神山神社奥宮、その境内の森、そこへ続く石畳は、深い歴史を感じさせてくれた。
 その夜、蒜山高原キャンプ場に泊まり、8月中旬には、オレゴン州の大学院入学の為、帰国してしまう落合君と話した。
 私にとって、山登りをより満足させてくれる条件は、計画、歩ける幸福感、景色、自然、価値観の近い人との出会い、そして「家族」である。
 
19:20・18日・自宅発−−5:40・19日・登山口着−−8:45・登山開始(夏山登山口)−−10:10・5合目−−12:12・弥山山頂(昼食)−−12:54・下山開始−−14:20・5合目本谷分岐−−15:40・大神山神社奥宮−−16:05・登山口駐車場−−蒜山高原キャンプ場泊−−20日・出雲大社−−15:45・米子インター発−−2:30・21日・自宅着
 
参加者 ぱぱ まま 長女 次女 長男 次男 ゲスト
出欠 待機 待機 落合
年齢 41   11 8 6   30
ピーク合計 78   40 39 37    
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