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2011年1月26日 「韓国岳」下山2時間後、新燃岳が大噴火する。
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たっぷり雪の韓国岳で、ママとスノーハイク・・・のはずが・・・
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「雪の中を歩いてみる?」と、ママと連れ立ち霧島へ出かける。折りしも、小噴火を繰り返す「新燃岳」を、韓国岳から眺めてみたい気持ちもあったが、山頂に
立った3時間後、大噴火が起こった。それは、もう記念どころの話しではなく、噴火による降灰で、多大な被害を被る事となった。宮崎は、口蹄疫が終息したば
かりで、鳥インフルエンザが起こった、追い討ちをかけるように、新新燃岳の大噴火である。自然の猛威を目の当たりにして、成す術もない・・・ただただ沈静
化を願うばかりだ。
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小林市手前から眺めた「霧島山」は、新燃岳の噴煙がたなびいていた。
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えびの高原の「不動池」が、完全に氷結していた。
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韓国岳登山口から登る
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北峰へ挑戦してみるが・・・
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積雪は厳しく・・・
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30分で、潔く敗退し登山道へ
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しばらく歩いていないママに、「北峰」へ挑戦してもいいか訪ねると、「私でも行けるかなぁ〜。」と、ついては来たが、ズボズボ踏み抜ける雪面に、私が根を上げた。結構楽しかったし、天気も良くて、「雪」を楽しみに来た目的を果たせた気分。
登山道へ戻り、歩き始めるが、6本爪アイゼンが快適に歩を進めてくれる。いつもは、岩がゴロゴロした登山道も、雪に覆われ、実に歩きやすくなっていた。
それより、水曜日なのに、結構な登山者なのには驚いた。いつもは寡黙な山歩きだが、あちこちで交わす挨拶や会話は、実に新鮮な韓国岳の印象が残った。
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テクテクと遅く付いて来るママは、マイペース。私は、少し間が開くと、引き返したり登ったりを繰り返しながら、ザクザクと雪道を楽しんだ。
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いい景色だ!
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氷結の大浪池
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8合目辺りからは、風が強くなった。山頂から、噴煙を上げる新燃岳が荒々しく見えた。
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山頂11:54
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まさに、生きた山だ!
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山頂で、岩の窪みにすっぽり入り、風を避けながら、持参した湯でカップラーメンをすする。この冷たさに、熱いラーメンは、温まる。空いた腹も満たされ、体力が戻ってくるのが判る。
新燃岳の噴煙を眺めながら、霧島の活火山のパワーを感じた。もう、火口湖のコバルトブルーは見られないのかな?と、脳裏をかすめた。3歳だった長男の
手を引き、霧島を縦走した頃を思い出した。本当に、穏やかな一日で、9時間かけて高千穂河原に到着したときの達成感は、いまでも覚えている。霧島が、私た
ち家族に山登りを教えてくれたと思っている。たくさんのシーンを思い出すが、新燃岳が噴火しているシーンには、ママと二人で、子供達の姿はすでに無い。
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硫黄山〜韓国岳の雄大なパノラマ
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倒れている?
いや、冷たさは美顔になる引き締め効果らしい
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登山口に作ってあった雪ダルマと
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なんと、下山して風呂から上がると、空一面が黒い噴煙に覆われていた。
少し大きい噴火?ぐらいの気持ちで、宮崎市内の子供の学校へと向った。
帰宅し、ニュースを見て驚いた!!
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翌27日の宮崎市内の空・・・噴煙が、空を二つに分けた。
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西都市の高塚山から眺めると、宮崎市内上空に噴煙が覆いかぶさるのがわかった。
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27日、早朝、家の戸やサッシが、ガタガタ揺れた。噴火による「空振」だそうだ。日中、西都市内にも噴火の轟音が低く響き、空振は続いた。何がどうなり、
何をどうしたらよいのか?日々の日常感覚を完全に狂わされる衝撃だ!地鳴りみたいな振動に包まれると、これからどうなるのだろう?と不安ばかりに包まれ
る。
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28日朝、風向きが変わり
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西都市・佐土原も灰が降った。
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自宅6:40----宮崎市内学校----えびの高原9:24----登山口9:55----北峰方面へ----登山道へ戻る10:30----5合目11:15----山頂11:54----昼食----下山12:20----登山口13:05----風呂----宮崎市内17:00買い物----学校18:00----自宅18:40
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