水流渓人「hot-news」

2010年12月30〜31日 「尾鈴9座縦走へ挑戦」するのだが・・・
2011年1月12日「残り3座を歩く」

思わぬ大雪?(尾鈴では・・・)になる。

 
 


12月9日西都原へ向う坂の途中から写す

 

 あの山、親父も眺めたかなぁ・・・。西都の町からは、いつも尾鈴が見えている。 
 
 12月27日、私は親父が人生を終えた52年10ヶ月を迎える。 ずっと、それが、私にとっては「壁」・・・「大きな壁」だった。やはり子供は、親の年 齢に自分を重ねてしまうと思うが、それが近づくにつれ、なんとも言えない気持ちも抱いてしまった。その歳月を通り越せば、次に見えてくるものへの不安も一 緒に抱く事になるのだろうか・・・。でも、その歳月を追い越すのならば、感謝の気持ちを持って、迎え、更なる歳を重ねて行きたいと思った。何か記念 に・・・と、考えたときに、好きな山歩きと親父を重ねる時、眺めたであろう近場の山・・・「尾鈴」となった。

 福岡の大学に通う次女に、
「お父さんの、記念の登山に付き合えよ!」
と、聞いた。
「いいよ!」
と、答えた娘は、大学のワンゲル部に所属している。
 そして、高校2年の長男も同行してくれることになった。
 
 こんな形で、山と向き合ったことは無かった。
11月10日に、滝コースから、黒原山に登り、尾鈴に綺麗な縦走のラインを描く事を決めた。11月24日、切原ダムを抜け、大薮内林道から、大戸越へ行き、上面木山へのコースを確認。12月8日、大戸越から春山までの藪尾根にコースを設定。12月15日、 下山の最終ルートになる角崎山を、キャンプ場上からコースを設定。12月18日、袋谷林道から稜線へのコース(縦走時のエスケープルート)を作り、黒原山 を目指すが、尾根を間違え引き返し、とりあえず春山まで確認した。この3回の山行には、ママも同行してくれた。登らない長女には「上面木山」、次男には 「春山」の山頂標識を墨で書いてもらい、家族全員の協力を貰った。どうしても、黒原山・矢筈岳の尾根は、事前に確認しておかねばならず、なんとか12月22日に単独でコースを確認し、当日に控える。

 
 

 
縦走計画地図クリック拡大

  
信号機みたいだなぁ〜。小雨 送ってくれたママが、戻って行った。
   
 

標高710mの大薮内林道の分かれ道から、藪へ突入だ!(この日初めてのコース)

 
   
そして、上面木山山頂 大戸越峠へと下る
 

 29日の夜11時の高速バスで、次女は天神から佐土原に帰ってきた。積もり積もった話だが、抑えて抑えて、明日朝の出発に備えた。
 30日、5時に起床し、荷物を車に積み込む。数日前から、沢山の思いを含め、準備が楽しかった!真冬シャラフがかさ張るが、寒いより安眠が優先だ! リュックは、次女9キロ、長男11キロ、私18キロになる。ママに、上面木山の登山口に設定した大薮内林道の分かれ(標高710m地点)に送ってもらう。 そして、この登山口からは、この日、初めて登る。べったりした山容だが、登りは簡単・・・、途中で、地図に無い立派な林道が横切り、えっと驚くが、そのま ま直進して、更に藪に突入すると何の問題もなく山頂に着いた。しかし、茨の棘があちこちにあり、少し強引に歩いたせいで、ゴアのカッパが穴だらけに裂けて しまった!
 小雨の中、山頂で飴玉を頬張り、水分を取る。長女の作った標識を取り付け、記念写真を写して、下見で付けていた目印をたどり、大戸越へと下る。

 
 
大戸越〜春山は、静かな森だ! 雨ふる中の春山山頂
 

  大戸越からの春山は、一番の長さと標高差だ。通常の登山道ならまだしも、木を掻き分け進む藪コースは、ペースは上がらない。気温も下がり、風も強くなる。 次第に雪に変わり始めた。姉と弟は、積もる話満載なんだろう・・・この天候でも、実に賑やかで、時折、歌まで歌ったりしている。春山を過ぎると、吹雪く中 だが、順調に黒原山、そして矢筈岳を迎えた。予報では、小雨の後、晴れるはずだが、雪は、ますます降り積もる。
 高校になり、パソコン部の長男は、体力不足?腰が痛くなって来ているみたいだ!ワンゲル部の娘が、リュックを代わろう!と、申し出るが、断る男でいた。 娘の、山での落ち着いた行動を見ていると、しっかりした指導を先輩から受けているのだろう・・・、成長を感じた。

 
 
雪がチラつく黒原山山頂にて 矢筈岳への稜線から吹雪き始めた
 
 
矢筈岳山頂 矢筈岳からは、一般登山道だが、雪!
 
 

  矢筈岳から、長崎尾へは、一般登山道だが、真っ白に覆われ、強風の稜線は、少し怖い感じさえする。長崎尾で記念撮影を終えると、15時を回り、寒さと疲れ で、そろそろテントに入り、体調を戻す事を考えなくてはならない状況・・・。なんとか、尾鈴山まで行きたい気持ちも強かったが、時折転ぶ私と、事が痛そう な長男を気遣い、次女が
「お父さん、ワンゲルの若者でも、こんなには歩かんよ!そろそろテント張ろうよ!」
と、提案されてしまう!また、なんとしても・・・という、私の欲が出てしまっていた!天候や状況に逆らわない様に、その懐に抱かれる事にしよう!風の当らない場所を探そう!
 
 長崎尾を過ぎた次のピーク付近で、少し風の弱い場所を見つけ、テントを張り転がり込む。腹が減っていたのだろう・・・、長男は、いきなりオニギリを3個 パクついた。12月22日、矢筈岳に登った際、山頂近くに、水2L・酒2合・チョコレート・乾電池をデポしておいた。それも有り、テントの中は、極楽だ! 携帯電話のワンセグで、年末のテレビ番組を見ながら、わいわいお喋りがはずむ。持参の野菜たっぷりラーメン鍋と、ガス・ローソクの暖房で、快適そのもの。 しかし、外は氷点下。離れて暮らす次女と、ゆっくり話せて、私の顔はでれっとしたまま・・・だったはず・・・。私が寝た後も、姉弟は、遅くまで喋っていた 様だ。



いよいよヘロヘロで長崎尾 快適テント空間・・・ワンセグTV
  
 

翌朝、こんもりと積雪! テントを撤収完了!
  

  数日前私は、親父と同じ52歳10ヶ月が来る前夜、果たして朝が来るのだろうか?目が覚めるのだろうか?と、震えた。しかし、何事も無く目を覚ました。い つもの様に、朝が来て、子供は課外授業に登校し、いつものように出勤した。何も無くて当然なのだろうが、私は、神妙にその日を待ち、やり過ごそうと焦って いたのだと思うが、これから、どう生きるか?は、考えないと親に対して悪い気がする。両親、短命だったかも知れない。でも、こうやって、私に生を与えてく れた。感謝の気持ち無しにはいられないと考えている。
 そして、親父より、4日長く生きている朝が来た。雪は、こんもりと積もっていたが、風は弱くなっていた。気温、マイナス7度。6時を迎えた時点で、私は 縦走を、尾鈴山で終える事を決めた。もう少し先の様子を見ての判断でも良かっただろうが、ママに下山時間と下山場所を伝えておく必要があったからだ。どこ の状況も、不確かな想像の域での判断なので、ママが雪道を運転する事も避け、尾鈴山から先への時間的な予想もつかないのなら、敗退で良いと決断した。縦走 を完成させる事以上に、こんなに素晴らしい雪景色を、楽しめた。しかも、子供と一緒にだ!何よりも深い時間を過ごせたのだから、これ以上の事は必要ない。



 
尾鈴は、こんな景色をプレゼントしてくれた。

  
  
膝ぐらいまで積もった場所も・・・ 樹氷が、紺碧の空に映える
  
  
 尾鈴山山頂 尾鈴神社に感謝する!
 
  
断念した神陰山のこんな景色や 歩いてきた矢筈岳や長崎尾の、こんな景色を見せてくれた!
  
 
子供達と見た、感激の太平洋・・・光っていた!


 長崎尾を過ぎて張ったテント場から、高野槙の尾根を過ぎ、尾鈴山までの登りは、深い所で40センチもあった。なんとも言えない光景ばかりが目に映った!次第に、紺碧の青空が広がり、キラキラと粉雪が舞った。
 尾鈴山の山頂で、はしゃぐ子供達は、あの頃と変わらない。そして、我が子達は、私の父の存在を知らない。子供は、確かに親の背中を見て歩くものだ!私の 見た親父の背中は、突然消えた。そして、その年齢に私が近づいた時、その先が見えずうろたえていた。私は、何も出来ないが、せめてその背中だけでも、長く 見せ続けなければ・・・と考えた。
 山頂の尾鈴神社は、凍てついていた。お辞儀をして、万吉山方面をチラと見て、登山道を下り始めた。途中の展望所から、ため息の出る景色を見た。海が輝い ている。子供達も、自分の携帯で、写真を写した。しかし、この景色を記録で残す事より、一緒に眺めた事こそが大切なんだ!と、すでに、子供達は理解してい た。
 登山口に下山すると、案の定、林道も雪・・・。神陰林道手前に、ママを待機させて良かった!ホッとしながら、林道を歩く。姉弟は、ずっと喋り、歌いながら歩いていた。
 
「親父よぉ・・・、見えてるかい?ボクは、親父の歳を越したよ!あんたの孫4人、いつも見ていてくれているかい?」

 
  
甘茶の谷に架かる橋で・・・ 登山口から積雪の林道を歩くと、予定のゴール地点で、ママが待っていてくれた。
   

(12 月30日)自宅発6:00----コンビニ----大薮内林道----林道分岐登山口7:32----上面木山8:33----大戸越9:05---- 1035mピーク10:36----春山11:43----黒原山13:12----矢筈岳14:28----長崎尾15:25----1320mピーク にてテント設営16:00
 
(12月31日)起床5:30---自宅連絡6:00(尾鈴より下山決定)----朝食----撤収----出発7:50----尾鈴山9:10---- 休憩----下山9:30----登山口11:00----橋11:06----林道歩き----キャンプ場先ゴール11:41----昼食----帰路 へ13:00----自宅着13:45

 
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そして、次女は福岡に戻り、息子達は学校が始まり、
私は、通常勤務が始まった。
 
22011年1月12日

  とり憑かれた様に尾鈴山系に通った12月だったが、正月が過ぎ、私は初山行へ気持ちが動かなかった。登山そのものを、なんだか、面倒な気持ちへ追いやろう としていた。何が楽しいのだろう・・・。正直、登る意味を探そうとしていた。いや、登山を止める理由を見つけようとしていたのかも知れない。あの12月 の、熱い思いは何だったのだろう。しばらく、悪態をついた挙句、気付いたのは、縦走が途中までしか完了していないから?という事だろうか。理由や意味は判 らないが、気になるなら、とりあえず行動してみる事だと、ようやく重い腰を上げたのは、1月12日・・・いつもの水曜日。


12月31日、ここをコールとした。
その場所から、歩きはじめた。
尾鈴山登山口
 
 

山頂手前の展望所から、あの敗退下山の時とは、違う?景色が見えていた。
 
 

  気持ちは乗らないくせに、ひとりで尾鈴に来た。12月31日に、敗退ゴールした、神陰林道の分岐の橋・・・角崎山からの下山ゴール地点に、駐車し、林道を 歩く自分がいた。アスファルトの林道を登りながら、山へ向う楽しみも期待も無く、頭からっぽな自分が、スタスタと歩いていた。でも、気持ちは妙にスッキリ していた。
 駐車位置から、尾鈴山頂まで、標高差1000m。気がつくと、疲れる事無く2時間で尾鈴山に立ち、先日の感覚が、急に戻ってきた。好きだから、山へ来た んだ!だから、家族と登山をして来たんだ!その事は、理屈じゃなく、体に染み付いていて、いつも自然をキーワードに、子育てをしてきた事を、一気に思い出 させてくれた。

 
 
万吉山手前のピークから、山頂部。 景色の無い「万吉山」山頂
 
 
東郷側への分岐に注意して進む 動物の足跡しか無い!
  
   

神陰山への稜線に立つ大木・・・ツガ?あの時、家族全員で眺めたよなぁ〜

 
 
山頂三角点で、ピースサインの影 「神陰山」山頂
 
 
神陰山登山口の神陰林道は、伐採作業中 林道から、「角崎山」
  
  

  あーっ、尾鈴山から続く万吉山の稜線は、その森は、なんて素晴らしいのだろう。ヒメシャラの森に積もる雪のコントラスト・・・、雪面につく自分の足 跡・・・。子供達と、縦走を6座で断念したときから、自分の中の何かが停止していたのだろうか?万吉山、そしてなだらかで自然の濃い神陰山への稜線は実に いい。目標を、角崎山に13:00と設定し、神陰林道へと下山する。伐採作業で、周辺は様変わりしていたが、目標どおり角崎山へ到着し、自分だけの下山道 を、てくてくゴールへとたどり着いた。
 まだ、しばらくは、どう山を楽しもうか?と、想像する感覚が戻ってきている。

「親父! これからボクの重ねる歳こそが、あなたから貰ったものなんだ! 大切に、楽しませてもらうよ! ありがとう!」

 
 
「角崎山」山頂 ゴール地点へ下山する。

 


12月22日に眺めた「尾鈴9座」

 
 

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(1 月12日)自宅6:50----尾鈴キャンプ場上ゴーヘ地点7:30----林道歩き開始7:54----尾鈴山登山口8:33----尾鈴山10:02 ----万吉山10:37----神陰山11:51----神陰林道12:17----角崎山入口12:43----角崎山12:57----昼食--- -下山13:12----ゴール地点14:30----工事時間規制解除15:00----自宅15:40
  

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