水流渓人「hot-news」

2010年5月12日
ママは不機嫌に「別に、あんたが大森岳って言うならそれでいいけどぉ↓」と言った!

「まだ、登っていない山シリーズ」は、続くぅ〜のだ!

 

 子 供を学校に送り届けての登山だが、下校時は、長女が迎えに行ってくれることになったので、「大森岳」狙いとなった。いつも、子供を送り届けて・・・迎えに 行って・・・と、レポに書くが、それは単に、自宅からバスとかを利用すると、車より遥かに費用がかかるからである。過保護にしているのでもなんでもなく、 それでも遊ばなくてはならない家計を考えての事・・・。(*゚o゚)/チョイトオマチ!!
 前夜、「あ〜ぁ、私は、今年も花
(アケボノ・シャクナゲの事だと思う・・・)は 見れないんだなぁ〜!」と言うものだから、夏木山にしよう!と決めかけていたのに・・・。今度は、「子供たちが学校のある日は、そこまでして遊ぼうとは思 わない!夕食だって間に合うようにしないと・・・。」と、普段からして出来もしない建前論を言い出し、いつもの「じゃ、あんた一人で行けば・・・。」の締 めくくり言葉を吐いた。不機嫌に、無言のまま寝たが、翌朝「大森岳」へ行く事にした。なんか変だが、20年も連れ合っていると、意味不明と我儘が入り乱れて生活は進行していくのだ(・・。)ゞ!!

 
  
綾町から、照葉大吊橋を抜け、須木村へ 須木村から、国道265号線をたどる
   

なんか、ラリーのコマ地図みたいだなぁ〜

  
んっ?ここ(輝嶺峠)に、「大森岳→」看板。 で、大森林道を看板に誘導されて・・・
 

かと言って、観光案内でもないのだがぁ〜

  
昭和55年に大森林道は引かれた。 少し荒れた林道を、輝嶺峠から約7kmで登山口
 
 
登山口に案内板「ヒル注意!」 登山口
   
   
約30分で、968mの柚園三等三角点 稜線の切り分け道は、すこぶる快適!
 

 

何度か、アップダウン 山頂すぐ下に防災無線中継局の鉄塔がある
 
 

  計画では、「綾第一発電所」からの、鉄塔に沿って登るコースを予定していた。標高差900m。それを、ママは嫌だったそうだ。この大森林道からなら、登山 口がすでに標高800m。標高差は300mほどで山頂だ!それを知り、すこぶるご機嫌になるママである。判りやすい!と言ったら、そうだが、山ヒルもまだ 出ることも無く、切り分けられた歩きやすい尾根を、わずかのアップタ゜ウンで、快晴の山頂・・・ニューピークを踏めた。
 照葉樹林は、太古より人間の生活域だった。その照葉樹林の北限が綾町とも言われている。ここでは、原生状態を残し、ユネスコ世界自然遺産登録への動きが ある。かけがえの無い大切なものとして残さなくてはならない!!自然が自然のままにある事を否定してきたのは、間違いなく人間だ!それに気付いていて、そ れでも自然をすり減らし、そうでないと生きていけない傲慢な存在が人間なのかも知れない。自然に感謝すること・・・。いったい、それは具体的にどういう行 為をすることなんだろう・・・。

 
 

一等三角点の立つ「大森岳」山頂(1108.6m)



大森林道より・・・手前、掃部岳、左奥には米良三山

 
  

 宮崎は今、牛や豚に発症した「口蹄疫」に揺れている。国の補償が決まったものの、畜産農家の方達の事を思えば、耐え難い状況である。
 
神は言われた。
「地は、それぞれの生き物を産み出せ。家畜、這うもの、地の獣をそれぞれに産み出せ。」
そのようになった。
神はそれぞれの地の獣、それぞれの家畜、それぞれの土を這うものを造られた。神はこれを見て、良しとされた。 
神は言われた。
「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」
 
旧約聖書「創世記」の一説だが、家畜は人と共にあり、人は命を食して生きてきた。人が支配者なら、その責任とは何だろう・・・。
 
 動物を治す為の獣医師が、今、ひたすら殺処分を行っている。宮崎に暮らす私達だけでなく、もっと大きな力が、人本来の姿で考えで、この日本の畜産を支え なくてはならないのでは・・・と、宮崎は動いている。近くの学校や行政の行事は取り止めになり、なにもかもが痛みを発している。この日の、「宮崎日日新 聞」の「くろしお」欄
口蹄疫が問うもの」には、思わず涙してしまった。
 
 田代八重は、山深い場所にある。森の緑が、自分を浄化してくれる様だ!どこまで行っても、存在するのが、人の手が加わった物や状況だ。

 
 
田代八重ダム 田代八重橋を抜け西米良村へ
 
 

廃校となった「尾股小学校」に寄ってみた。(写真クリックで拡大)


 人の手が加わった森に、ひっそりと自然に帰りつつある学校があった。尾股小学校・・・、ネットで調べるも、西米良中学校の沿革に あるぐらいで、昭和20年に西米良中学の分校として出来、昭和27年に小学校へと変わっているのが判るぐらいだ。この尾股地区に残る廃屋で、何がどう栄 え、暮らしがあり、学校が存在したのか?教室の黒板や壁に、卒業生だろうか・・・、書き残しがあった。子供達の走らない校庭は、ふかふかと柔らかくなって いた。教室隅の用具置き場、工作室、錆びた遊具・・・。こうして、残りつつ風化していく小学校は、なんだか温かく感じた。私の卒業した、西都市立「妻北小 学校」の校舎は、長男が卒業した2006年に解体され、次男の頃には新しく建替えられた。たくさんの要素を持つ学校だから、昔のまま・・・とは行かないだ ろう。どちらがどう良い?と考えても、考え方はたくさんあろう・・・。山深い「大森岳」の山行は、まさしく一日だけの素敵な「旅」だった気がする。

 
 

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自宅発6:45----宮 崎市内の学校----高岡町----綾町----照葉大吊橋8:15----須木村----輝嶺峠9:20----大森林道----登山口9:45--- -登山開始9:55----稜線10:19----968m三角点10:40----山頂11:38----昼食----下山12:20----登山口 13:12----田代八重ダム14:25----尾股小学校14:40----西米良温泉「湯たぁ〜と」15:38----自宅17:45

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