水流渓人「hot-news」

2010年1月6日 「新年?登山/行縢山ではメタボは解消できない的登山」ガケ下ルート

遠くまで行く気力ない・・・オヂさんの、そんな一日ぢゃったしぃ〜

 

 ウォー キングも中止してしまったし、年末年始に山に行きもしなかった。ビールと焼酎、酔う事に専念した数日が過ぎ、体重もたっぷり、腹回りの肉もたっぷりな、な んと素敵なメタボになったことだろう!「なんとかしなくては!」という焦る気持ちと、「どうでもいいや!」という諦め気味の気持ち・・・。なんとかしなく ては!と思い、行動しようとする事のなんとストレス高き事よ!!どうでもいいや!と思い、注ぐ焼酎に溺れてしまいそうな、なんと落ち込む事よ!山に行きた くて、なんとか体型体調を維持する?いや違うな!本当は、家族を守る為、子供達を育て上げる為のモチベーションを高める為に、何か目標を持たねば・・・、 何か背中を見せねば・・・、弱音を吐かぬ精神を維持せねば・・・・・・なんて、どこかに「?」を抱き歩いているのさ!年末が来れば、いっぱしの登山好きみ たいに「忘年登山」なんて計画しちゃったり、今度は、「初登山?」・・・ちゃんちゃらおかしいけど、休みの前夜、「明日は、県北の山にでも行って来ようか な?」と、ママに言ったりした。
 寒風の中、青空に映える「雄岳」「雌岳」が見えてきた。さぁ、どう歩いてやろうか!

  

西都の茶臼原から、冠雪した市房山 寒風にさらされる千切り大根と尾鈴山
   
 

まったく文句ない!完璧な行縢山を正面に見る。

 
 

 コースは、噂に聞いていた「ガケ下コース」を目指した。2001年、行縢神社裏から「南面コース」という古い標識の所を登った。その時、雄岳の岩壁に突き当たると、右から上がってきている標識(目印)を見た。その延長を目指して左へ登り山頂へ至った。そして、2007年にママにササユリを見せに登ったとき、「ガケ伝いのコースから来ました!」と息を切らせて登ってきた方に会った。ルートファインディングの必要なバリエーションルート?と思っていた。

 
 
行縢神社の横を通る 新しくなった橋
 
 
右、上の駐車場からのコース合流地点から左に沢を渉る「ガケ下コース」 振り返ると、雌岳が天に聳える。
 
 

まさに、迫力ある崖の下を通るコースだ!

 
   
目印もたくさんある・・・ 古いコースだった。
 
 
ふと、見上げると・・・ リングボルトが打たれていた。
 

 ハッとする「リングボルト」に出会った。この雄岳には、1976〜1982年に、4本のルートが開拓されている記録がある。(日本の岩場より)なんとなく、宮崎登攀倶楽部ルートたったら良かったのになぁ〜と、後から調べて思ったりした。
 健康診断によると、改善しなくてはならない数値だらけの私である。何を投げやりになっているのか・・・、いや、投げやりにしてしまえ!という自分の気持 ちがあるのだろうか?考え込んでしまうと、自分の気持ちをどうコントロールして良いのか迷っている。今年、51歳になる。これは、私の人生最大の壁だと 思っている。大好きだった親父が、逝ってしまった年齢だ。大阪から駆けつけた私の目に飛び込んできた親父の姿は、病院のベットで息をしているだけの姿だっ た。物言わぬ・・・言えぬ親父に、たくさんの感謝の言葉を思った。何も礼を言う事ができなかった。何もしてあげれなかった深い後悔の念を抱き続け始めた瞬 間でもあった。「脳血栓」が原因だと聞いた。そして、今の私の状況は、そうなっても仕方ない体調と状況にむかいつつある。判っているなら、なら、改善すべ きだと思っている。出来ない。改善を努力し、親父みたいに早く逝くことの無きよう・・・、子供に私と同じ思いをさせないように・・・と、判っているが、本 当は、怖くて、何も先が見えなくて、目先のほんのちょっとした喜びを、最大に感じたくて、酒を飲み、食事を取り、家族を眺め触れ合っている。たまらない、 見えない壁に押さえつけられ、じたばたしている。
 ここに来る途中、美々津の港を見た。そこは、親父が受験生だった私を連れ、徹夜で釣りをした船着場がある。その時、私は、こんな寒い夜に釣れない!と、 最初からそう決めていた。12時を回り、「そろそろ帰ろう!」と言う私に、「釣らないなら、車で寝てろ!」と、竿を離さなかった。結局、うっすらと明るく なった空の下で、まだ、親父は竿を握っていた。朝、下宿へ送ってもらう車の中で、「受験やのに、何やってんだろ?」と、今まで勉強して来なかった自分を反 省するより、釣りに連れて行った親父を恨んだ!それから、3日後、親父は私に1m近いスズキの魚拓を見せた。実に誇らしげに、見せた。あの時の親父の嬉し さが、今の私には痛いほど判る。あの時、受験前なのに一晩中付き合ってくれた息子であった私を喜んだのだと、今頃になって判った。親父とは、そう言うもの なのかも知れない。何にでもいい・・・、その状況に自分の子供が一緒にいてくれるだけで嬉しいのだと思う。無理言って、県外の私立大学に行かせてもらい、 なんとか就職して自活でき始めた7月の事だった。私に恩返しもさせる事無く、逝った51歳の親父・・・。たくさん遊んでもらったよな!

 

 

山頂は、風裏で、ポカポカな日溜りで昼飯を食った!

 
 


行縢の滝

 

  この日、どうして行縢山だったのかは、理由は無い。いつも、「○○山」と決めるには、なにかしら理由がある。でも、この日は何も無く来た。どこかを登るの に理由は必要ないのだろうが、なんで山登りなのか・・・なんで行縢山なのか・・・、まったく理由が無く。その理由にするために、「ガケ下ルート」を選んだ 様な気がする。下山しながら、自分がどこに足を着地させているのか、ホワンとして判らなくなりそうになった。無性に、後頭部が冷たく、足先が冷えに冷え た。
 振り返ると、青空に堂々とした岩壁が、すごい迫力だった。年頭に、いい状況の「行縢山」を登る事ができて良かった。こんな水曜日でも、数名の登山者に会えるのだから、人気があるんだと思った。
 支離滅裂な記録だが、実に今の自分そのままだと思っている。そんな、今年は、いったいどういう動きをするのだろう・・・。差し当たり、次女の大学受験が気になったり、楽しみであったりする。

 

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自宅発7:30----行縢神社登山口9:45----ガケ下ルート入口10:12----山頂11:54----昼食----下山12:35----分岐13:00----行縢の滝13:23----駐車場14:05----門川温泉15:45----自宅着19:00

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