水流渓人「hot-news」

2008年1月14日 「白鳥山/椎葉」宮崎県

 

ぜひ行きたい!・・・そんな場所や山は、そりゃ「山の数ほどある!」
椎葉・・・しかも「白鳥山」の登山口までは、遠ぉ〜い。
そう思い、ようやく行く気になった。

 

祭日で、皆いるのに子供達はついて来なかった。(*.*~~

 

 なんだかヘンテコな風邪が蔓延している。胃腸炎みたいな風邪になったり、「山」と言うと、即「勉強」と答える子供達である。一番わがままで、思い通りに行かないとすぐ頭に来て不機嫌になるのは、いつもそのどこぞの親父だが、まぁママが付き合うとの事で、帰りは遅くても大丈夫!となり椎葉行きを決めた。計画では5時起きの6時出発だったが、8時の出発となる・・・まぁ、いつもの事。
 距離と時間の考えも無く、西都の自宅を出発し広域農道沿いに耳川を目指す。朝食抜きだったので、道の駅とうごうに立ち寄り、物産のコーナーで、手作りの「いなり」と「クレソン巻き寿司」を買う。また、これが旨い事この上なし!ぜひ、お試しあれ!!諸塚を過ぎ、椎葉ダム手前で県道142号線へ入る。

 
  

上椎葉ダム

 

 
 語らずに通れないのが、椎葉の「平家落人伝説」である。壇ノ浦の合戦に敗れた平家の武士たちが、山深い地に逃れたのが、およそ800年前・・・だそうだ。この隠れ里も、いずれは「源頼朝」に知れ、那須与一に追討ちの命令出る。しかし、与一は病気のため、代わって弟の那須大八郎が椎葉に向うことになった・・・。
 この椎葉で、大八郎が見たのは、敵、味方、富、権力・・・いやそんなものは意味を成しえない、ひっそりとした平家一門の椎葉での暮らしであった。幕府には討伐を果たしたウソの報告を入れ、大八郎がどうしてこの椎葉に暮らしはじめたのだろうか・・・。かつての敵を助け、供に暮らし、やがて平清盛の末裔である鶴富姫との出会うことになる・・・。村人の祝福され、永住の決心を固めたのだが・・・。
 そんな平穏な日々は続かず、幕府から、「すぐに兵をまとめて帰れ」という命令が下る・・・。きっと、帰らねば幕府から怪しまれ、椎葉の平穏は保たれなくなると考えたのだろう・・・。大八郎は、身ごもっていた鶴富姫に、名刀を与え、「生まれた子が男子ならわが故郷下野の国へ、女ならこの地で育てよ。」と言い残して椎葉を後にした・・・。
 
 椎葉に、大八郎は理想郷を見たのだろうか?人を愛す事に純粋になる時、状況を超越するのだろうか?自然の中というより、より自然に近いのが人間だからこそだろうか?そんなロマンを秘めた地に身を置いてみたいと考えていた。

 


白糸の滝

 
 

 向山付近で分岐を間違え、五勇山・国見山の登山口に行ってしまう。近くにいたおばあちゃんに聞くと、丁寧に教えていただいたのだが、どうも判らぬまま来た道を戻る。途中追い抜いた地元の方が、まだ歩いていたので「白鳥山の登山口はどう行ったらいいですか?」と訪ねると、「今日は、小正月で、後何も用事が無いから案内しましょうか?」と申し出ていただいた。ずいぶん若い方がこの辺にもいるんだな!と思いつつ、乗車してもらうと、まず「白鳥神社」横で、ここを案内させて欲しいと言う。そのまま車を降りると、なんとも山深い神社のいい雰囲気である。しばらく大阪に居た事、大阪の大学でラクビーをしていた事、ママの弟と同い年である事、椎葉にいる私の同級生を知っている事、彼の兄さんが私の母校の後輩である事が判った。おかしなもんである。饒舌な彼の話に耳を傾けながら、ここならではの良い事・大変な事・・・などなど、考えさせられる事も聞いた。

 
  
「白鳥神社」入り口 白鳥神社の社
  
 

これは驚きの御神木・・・。杉?あすなろ?、1000年近い樹齢ではなかろうか?

 
  
で、彼も登る事になった! 崩壊したカラ谷の御池登山口より登る
  
 


自然林のカラ谷を登る

 

 御池登山口は、崩壊により砂防堰堤の工事中だった。上から土砂崩れで落ちてきた斜面を固めたコンクリートが、駐車場にズリ落ち、東屋を壊していた。今は、工事現場の仮設事務所が設置され、仮設トイレと5台程度の駐車場となっている。工事建設資材や建設機械の間を通り登山道に入る。苔むす自然林の中は気持ちよく、あっと言う間に稜線に出た。山頂の南東に位置する展望所に、一気に登り上がる。山頂標識と紛らわしい「白鳥山」への方向看板がある。北斜面は、ボテボテした樹氷があった。
 地元の彼としては、大して細かい位置を気にしているはずも無く、地形図を持つ私が山頂へ案内する結果になる。そこからしばし、住居跡の標柱に来て、数年前の記憶が繋がったみたいで、いつもは「峰越峠」から登っている事を話し始めた。

  
 
白鳥山山頂にて 平家残党左中将平清経住居跡
 
 

御池近くにあるドリーネ。苔むす石灰岩

 

 村人から聖地と言われている「御池」・・・。それは、平家の残党が本陣を置いたのが、この白鳥山御池の辺り・・・。三月、見張りの者が、霧の晴れ間に見えた山に、こぶしの花や桜の花を源氏の白旗と見間違え、刺し違えて果てた地が、この御池と伝えられている。
 
 少し彼の話に出た「両親が出て行っている。」というのが理解できたのは、御池付近で握り飯を頬張った時である。小正月と聞き、近所に飲みにでも出て行っているぐらいに思っていたが、家を出て数ヶ月になるそうだ。駐在さんに訪ねると、どうも元気で心配は要らぬ!と言われるらしく、訳ありなんだな!と感じた。
 私の卒業した母校がミッションスクールなのは、彼の兄も卒業したので知っていた。その学校長に電話を入れ、いろいろと宗教的な質問したと言っていた。そして、その質問の電話をした時、校長室に次女がたまたまいたという事が、帰宅して夕食のとき判り驚く!!なんだか不思議な椎葉であった。

 

駐車場付近の法面崩壊現場

元・細川首相がヘリで来た峰越峠へ来て見た。

 
 

 帰路、彼の家に寄り、お茶とラッキョウをいただく。お礼を言い、今度来るときは声を掛けるから・・・と言うと、とても嬉しそうにしていた。焼酎を差し出したので、私はインスタントラーメンを置いてきた。なんだか。しんみりと「元気でいろよ!」なんて思う別れだった。
 椎葉ダムの展望所には立派なトイレがある。携帯電話もバッチリ繋がる。自宅に電話を入れ、帰宅時間を告げる。今度は、大河内を抜け西米良を通り、カリコボーズの湯で「柚コショウ」を仕入れ帰宅する。こちらのコースの方が、1時間以上早い事が判った。・・・ふと思うと、以前も椎葉に行った時、そう思った事を思い出した。
 なんとなく、ママと焼肉屋で一杯やりたいと、町中の駐車場に行くと、英語塾帰りの次男がひょろひょろと友達と自転車で横を通る。2件覗いて満席で断られ、しぶしぶと焼き鳥屋の暖簾をくぐる。カウンターの高いイスに親子3人並んで座るのも初めての事だ。

  

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