2007年5月3〜5日 「長崎の龍馬に会いに行く!+佐賀・肥前夢街道」
今年のGWは、私が2〜5日。ママと次男が3〜6日。長女と次女と長男が4〜8日。・・・と言う事で、重なり合うのが4日と5日となった。遠出は無理だなぁ〜と、いつもの様に思うつもりであったが、遠出が無理なのは、休みだけの問題だけてはないみたいで、2日間の休みの過ごし方にもずいぶん制限の多いものとなっていた・・・。家族で過ごせる大切さは、銭金の問題ではない!と、開き直っても良いのだが、うつろな目で自宅周辺にいるのも嫌である。 「長崎はどうだろう?」と、突然言い出しても旅行は無理?・・・いやいや、突然言い出しても可能な家族であるから便利?というかたくましい所である。いやいや高速を使わなければいいやんか!宿?車で寝ればタダやんか!食事?何でもええわ!・・・・・で、条件が成立した。宿は0円、高速使わねば往復800kmのガソリン代だけ・・・家族6人の2泊3日の宿泊交通費が1万円を切る価格で実現するのである。
3日、中学高校は「参観日」である。この参観日にだけ、私も出向いている。母校だから、恩師がいたり同級生教師や同級生父兄がいたり、実に落着く故郷みたいな校舎を親ヅラして歩いてみた。しばし、PTA総会を抜け出して、昼からポチポチと出発する事にした。 いつも通り慣れた道を高千穂町へと向う。途中、右手に比叡山・矢筈岳の岩峰を眺めながら、クライミングではないフニャっとした気持ちで軽くハンドルを握っている。「どこか行かねば・・・!」と、なかなか取得できない連休を有意義に過ごすための義務感を持ってしまう!家族で出かければ、いつも素敵な宝物の思い出が出来る事も経験的に知っている。「だから出かけるんだよな!」車内で居眠りしている家族の寝顔を見ると、心底落着いた気持になる。車窓からは、連休ならではの混雑した阿蘇と、いつも変わらぬ雄大な阿蘇五岳が見えていた。 菊池市手前で、夕食にファミレスに入る。しばし停電という貴重?な体験をした。電気が消えた時、まだ外は夕暮れ前だったが、とっさにママと私が考えた事・・・「?・・・停電?ひょっとしてレジが動かなかったら、精算出来ないのでは?」なんて、極小市民的発想・・・、まるでそんなことは無い!当たり前の様に、伝票に表示された金額を支払いおつりをもらって店を出る行為は、停電も関係ないのである(^o^;)。 大牟田〜佐賀を抜け、東彼杵町の道の駅に到着したのは11時頃。連休である。広い駐車場は少ししか空いておらず、エンジンをかけたままのトラック横となってしまった(-_-メ)近くのコンビニでビールを買い、クゥァーーーッと飲み干すと、シートをたおした車内で、家族6人がキツキツと寝ても熟睡出来る家族であるのだヾ(^^ )。
長崎歴史文化博物館のロビー。丁度、もうひとつの日米交流史「青い目の人形と長崎瓊子(たまこ)」展 〜あれから80年、きずな未来へ〜が催されていた。 アメリカのシドニー・ギュ-リック牧師の呼びかけで、日米親善交流のため日本の子どもたちに約12,000体の青い目の人形が贈られ、我が国から渋沢栄一らが中心となり「長崎瓊子」と名づけられた日本人形58体がアメリカへ渡ったそうだ。太平洋戦争で、青い目の人形たちの大部分が処分され、現在残るのは300体。日本全国に大切に保管された人形が揃い、また長崎瓊子が里帰り展示されている様は、深い感動を覚た。戦争が何も残さない事の痛さ辛さを深く感じ、長崎というこの地に相応しい展示だと思った。宮崎は「高鍋東小学校」に一体しか残っておらず、意識の高い強い気持ちが伝わってきた。
ずいぶん雨に降られて訪れた「亀山社中」である。いろんな展示や本や話からは伝わってこないものがそこにはあった。だから旅はすごいのだと思う。そこに行かなくては感じることの出来ない空気がある。行ったからこそ深く記憶に刻まれていくのだろう・・・。龍馬が、ここから眺めた時、長崎の風景はどうだっただろうと思った。 次第に雨が弱くなってきた。市内に車を走らせ、五島町のパーキングに駐車し、宮崎には無い路面電車で中華街を目指した。
家族で、1999年の正月に長崎を旅行した。長女9歳・次女7歳・長男5歳・次男2歳の時である。当時の状況を登山日記に書いているが、我が家の貧乏旅行は、決して今に始まったことではないが、出かける事だけは欠かさないのだ!今回は、原爆については触れない度であったが、阪本龍馬がこの長崎の地に世界を見て、それに日本の将来を重ね合わせた様に、たくさんの長崎文化に触れるには全く足りない日程ではある。しかし、旅のスタイルにこだわらない限り、長崎は「宿泊+交通費=1万円」で何度も来れる地でもある。ゆっくり、じっくり楽しみたいと考え、長崎を離れる事にした。
あまりテーマパークみたいな、消費型人工施設には行かない?(行けない!)家族だが、大笑いで楽しんだ!家族で行く事・・・。家族であること・・・。それがすべてだと子育てして判った。何をするにも、家族の中を伝う空気以上のものは無いと思っている。それは、やわらいだ空気であれ、つらい空気であれ、怒りに満ちた空気であれ、すべてが家族の中だけの空気なのである。一番濃厚に感じることができると信じた「家族登山」も、もうすでに卒業の段階かもしれない。でも、それを経験してきた家族であるからこその今でもある。「家族」とは・・・?
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