2007年2月24日 「米の山と日向岬/日向市」宮崎県
珍しく土曜日が休みとなった。登山は強要しない事にした。自分が、そう腹をくくると、嫌いな休日特有のダラダラ寝起き行動にも目を伏せる事が出来る。次男が「釣り!」と提案したので、日向市を目指す。とりあえず、昼食を・・・と、格安のファミレスに飛び込む。大体、すぐ座れる状況に慣れている平日休みの私には、30分待ち!は、チト「イラッ」と来る状況でもある。「喫煙席なら空いておりますが・・・。」との係の案内に、「いえ!禁煙席にしてください!」とのママの決断に、更に待つ。席待ち30分、注文待ち30分、食べるの10分である。しかし、皆さん、休日の昼食のファミレスは好きですねぇ〜!なんだか席待ちが出来ない?いや理解していない後高齢のグループ(まだ食べている人の席横でシートに手を置いて席取りをしなくても良いではないか!入口に「係員がご案内しますので、お待ちくださいませ。」と眼鏡掛けずに見える大きさで書いてある。)までいたりする。なんだかファミレスの低年齢化・・・、そして高齢化が急速に進んで来ている気がする。いや現状そうだ!中には、ドリンクバーで、お取引先様に飲み物接待している営業マンまでいる。親同士がお喋りに夢中になり、子供同士で通路を徘徊し、ドリンクバーで氷を手づかみにしてジュースを混ぜる。どうも、ファミレスが、社会ルールや躾を忘れさせるのではないだろうか?と、疑いたくなる光景を目の当たりにした。ここが禁煙席で、隣のテーブルが喫煙席・・・境目に座らされたら喫煙席に座るのも同じじゃないか!と、腹立たしく思っている私の目に飛び込んで来るのは、下着(パンツとは言わない。)が見えるようにデザインされたパンツ(ズボンとは言わない。)履いた女子達である。 料理が運ばれると、ようやく周囲が見えなくなり食事に没頭できた。しかし、なんなんだ!あのドリンクバーという状況というかメニューは・・・。やはり、食事には「水」が正しいと思う、いまだに航空券(チケット)をキップと呼んでいる水流渓人である。
【ちょっと調べてみた】宮崎県の一等三角点 「鏡山」延岡市・北川町 「祝子川山(大崩山)」北方町・北川町 「祖母山」高千穂町・緒方町 「米山」日向市 「速日岳(速日の峰)」北方町 「尾鈴山」都農・木城町 「笹ノ峠」椎葉村 「国見山」椎葉村・泉村 「市房山」西米良村・椎葉村 「六ツ野」国富町 「大森岳」須木村 「鰐ノ塚(鰐塚山)」田野町・三股町・北郷町 「徳ノ岡」高崎町 「扇山」串間市 「牛の峠」都城市・三股町 「西霧島山(韓国岳)」小林市・えびの町・牧園町
「願いが叶うクルスの海」 このクルスの海には、訪れると願いが叶うという不思議な言い伝えがあります。 展望台からみえる「クルスの海」はその岩の形状が、「叶う」という文字に見える事から、こういった伝説が言い伝えられたものです。 ここを訪れた方の心を清め、願いや希望を天に託すため、その象徴として願いが叶うクルスの鐘 を設置しました。 この鐘は人間がいたわりあい、想いささえ合う姿を表現しています。 二つの曲線の重なるラインはお互いの足りない部分や、弱いところを補い合い、相手を思いやる姿を表現し、上に向かい細くなる形は我々の願いが天に向かう意味を表し、鐘は全ての願いと希望を象徴しています。 鐘を鳴らすときは、心を落ち着かせ、全ての願いと希望を思い浮かべましょう。 今日からはじまる新たなクルスの海伝説は、あなた自身かも知れません。
(現地設置案内より転記)
--日本一の柱状岩「馬ケ背」--(現地設置案内板より) 「日豊海岸国定公園」の南に位置する日向市の海岸は、白浜青松の砂浜と柱状節理(柱状岩)海岸から成っています。 特に柱状岩は、「日向岬」には「大御神社」の斜柱、「千畳敷」の金屏風・銀屏風、「小松崎」の孤立石柱、「塩屋崎」の板状岩など数多くの岩種が見られます。なかでも圧巻は、細島灯台東側に位置するここ「馬ケ背」の断崖絶壁です。奥行き200m・幅10mの海水路の両岸に高さ70mで垂直にそそり立つ様を、とくとご覧下さい。日向灘の荒波と谷底から吹き荒れる風に足がすくむほどです。 柱状岩は、一説によると今から1500万年前、火山の噴火物や地下ノマグマが火道や割れ目に貫入して、冷え固まる時にできたといわれています。また「馬ケ背」の名称は、この遊歩道先端一体の、陸地から盛り上がった岩肌が馬の背中に似ていることからこう呼ばれています。
細島灯台 ()(設置看板より転記) 灯台のある細島は、日向市東東部にある陸繋島で天然の良港を形成しており、古くは宗・明との貿易の寄港地として栄えた。 徳川時代、日向諸国大名の参勤交代は細島・大阪間を御座船で渡航したといわれ、当時既に「常夜灯」が設置されていたと伝えられている。 明治末、海運の発展に伴い細島港の整備が進んだので、宮崎県が灯台を建設、明治43年5月10日に点灯した。その後火災に遭い焼失したので同年12月、六角形煉瓦造に改装された。 昭和15年12月、国に移管され昭和16年にコンクリート造りに改築された。戦時下で予算僅少のため、灯台建設には地元青年団が参加、勤労奉仕をしたといわれる。平成3年の改良工事で現在の姿になった。 【施設の概要】 位 置 北緯32度25分25秒 東経131度41分8秒 塗色及び構造 白色 塔形 コンクリート造 等級及び灯質 無等 単閃録白互光 毎十秒に録一閃光・単一閃光 光 度 白光11万、緑光10万カンデラ 光 達 距 離 19.5海里(約36キロメートル) 高 さ 地上〜頂部 11.4メートル 水面〜灯火 101メートル 管理事務所 第10管区海上保安本部・油津海上保安部
なかなか会わない家族の休みである。今日も長女は、午前中学校であった。次女・長男・ママと、ほぼ同じ身長になってしまった。時折、だだをこねる子供も次男だけになり、少し寂しい気持ちだ。帰路、日向ロックタウンに寄り、次女にGパンを買ってあげた。あちこちと店を覗いては、あれこれ見るて、欲しい気持ちも少なからずあるが、大して衝動買いもしない家族である。私は、こうして皆で出かけることが嬉しい。大きな体力の消耗と、危険を克服した達成感というものが無い休日も、それはそれでいいと思っている。次回、私の休みが家族の休みと揃うのは5月のGWまで無い。
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