2006年9月20日 「水曜登攀隊/比叡1峰・北面・復活の日ルート」宮崎県
9月に入り、月初めの山岳会の例会で、2ヵ月ぶりに小松の親分に会った。7・8月は毎年、私は家族や子供と遊ぶようにしている。小松の親分は、本業のカヌーも忙しくなり、今年は「サーフカヌー」なる海へ転進して豪快な波乗りを楽しんでいたそうだ。 「そろそろ、今月当たりから水曜登攀隊の出動をしましょうか!」 と、話したものの1週・2週と、ハッキリしない予報にだまされていた。予報が、いよいよ晴れマークとなった前日に、 「明日は行きましょう!復活の日ルートをやりましょう!」 と、いつもの元気な電話をもらう。 『復活の日ルート』・・・所属会の会長が、北面にある『左凹角ルート』?近くだが、でもないルートで、あまりのピンの遠さに途中敗退し、その後【鹿川・庵】の岩職人・・・憧れの方たちで、いつも整備をしていたたぎ本当に頭が下がるのです。・・・さん達が、バッチリ整備された・・・との情報を聞き、会長より先に登ろうぜ!というのが、今回の企みであるのだよぉ〜d(-_^)good!!
あれこれ言う間もなく、取り付きへたどり着く。3ヶ月ぶりだというのに、いつもの様に時間が流れていく。その中で、いつものように支度が整うと、いつもの様に小松の親分は「登ります!」と、攀じり始めた。 すごい角度だ!新しいピンが打ち足してあるが、それでもとてもきつい。40mぐらいの1P、きついスラブ・・・小ハング越え・・・凹角・・・レイバック・・・多種な表情を持つ「復活の日ルート」、私は4段アブミ1本でなんとか切り抜けることが出来た。高度感に震える事は無かった。3ヶ月のブランクをこの1Pで感じたのは、腕力・指力の衰えであった。
3ヶ月のブランクを感じさせない小松の親分の登りである。それ以上に、ブランクを感じさせないチームワークである。その確保システムも、慎重さも、3ヶ月前と同じ調子で一連の動作をこなす事が出来た。 2Pは、左のフレークを豪快にレイバックで掴みあがり、3ピンきついスラブを過ぎると、一旦狭いテラスに立てる。そこからは、きつい登攀が待っていて詳細を思い出せないが、非常にピンが遠い所があり(ここは後日ピンを打ち足したそうだ!ヨカッタ・・・ソノマエニノボッテイテ・・・(^^ゞ)、つくづく良くリードしたものだと関心しながら、震えた腕でようやくピナクルに到達した。 *後日、鹿川・庵のHIDEさんより連絡があり、この遠い所にピンを打ち足したのではなく、打ち足したのは2P終了点下だそうです。HIDEさんありがとうm(_ _)m
3枚つなぎ合わせた3Pの出だしである。実に高度感素晴しいトラバースから始まる。2ピン過ぎて左気味に直上したが、なんだかとっても難しくて、私は滑ってしまった。気を取り直して、少し上のポケットにスカイフックをかけて、にじり上がった。どうも、右気味に上がると難しくないそうだ!
◆2006.09.28最新情報が寄せられました!◆ 『先週末「復活の日」が完全フリー化されてました。 グレードは、1P目が10b、2P目が10c、3P目がX級+です。』
次男が、3日前に「虫垂炎」の手術で入院した。深夜、宮崎市内の救急病院(医師会病院)へ運び、その朝に手術となった。手術当日の夜、痛みが彼を襲った。盲腸の痛みとは違う、開腹し盲腸を切り取った後の痛みだ!私は、24歳の頃その痛みを経験した。付き添いは不必要な病院だったので、辛かったが彼を独りにして帰宅した。でも彼は次の日の朝、耐えた貫禄の顔を私達に見せてくれた。今回、ずいぶん悩んだが術後の回復も順調だったので、比叡に来ることができたのだが、なんだか親としてはすまない気持ちを持続していた。レポートを書いている今日(9月25日)、次男が退院してきた。今年の運動会は見学になりそうだが、いつもどおり個性的な態度でいる。なんだか思い出深くなるだろう・・・「復活の日ルート」いい名だ!
6:30自宅発----7:05都農神社----7:40日向サンパーク----比叡駐車場----9:25登山開始----9:45取り付き----10:15登攀開始----13:40Aピーク終了点----13:50懸垂下降----14:40取り付きへ戻る----下山----15:15駐車場----帰路---17:30自宅着
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