2006年5月31日 「ミヤマキリシマの咲くトレッキングロードへ」宮崎県・霧島山
そもそも、前夜に先輩が投稿してくれたミヤマキリシマの変種の写真である。見たいナァ〜!とのたもうたら、「連れて行く!」と請合ってくれた。もう、向かう所・・・敵?無しである??小林IC出口でじんさんと合流し、高千穂河原へえびの高原経由でたどり着いた。 すでに先輩は支度を済ませて待機していてくれた。簡単に挨拶を済ませて、早速歩き始めた。
まぶしい色で霧島が染まっていた。自然が自然のままに、しかも艶やかに表現していた。人が飾ると、醜ささえ感じるのに、この艶やかさには快感以外感じない。すぅ〜っと息を吸う事を、当り前だと思っていた私は少し恥ずかしささえ感じた。すぅ〜っと息が吸えることを、本当は人間は自然に感謝しなくてはならないのだ!人の社会に当り前の事は何一つない!人はその存在だけで自然を踏みつけなくては生きていけない生物だと思う。 日常の中で、「自然?」「歩く?」「汗?」・・・そんなん面倒臭いし興味ない!そんな遊びに興じる人種は興味ない!山登る話なんぞ聞いている暇はない!と、あからさまに言う人に会う。それはそれでいい。個人の問題だから・・・。でも、そういう人達の話す低俗な噂話に、どれだけの価値があるのだろう・・・。アホだ!子供は金で育つと思っている。自然は金で買えると思っている。「物」や「事」の本質を理解せずに、「傲慢な理解」と「無知なわがまま」で周囲を巻き込むのは迷惑である。 なぜだろう・・・。周囲に存在するつまらない話を思い出すのは・・・。そして、その人達が直接「失われゆく自然」に手を下している訳ではないのに・・・。たぶん、私自身がそんな環境に犯され、そして否定したくて・・・正義感を主張したくて・・・言っているだけなのかも知れない。屈託のない自然は、心をあからさまにしてしまうのだろう・・・。失われゆく自然、そして、そんな中でも自然が自然に時を重ねて行っている。私は、人は、そのほんの一瞬にしか立ち会えないのだ。100年生きたとしても、自然の中でそれは本当に一瞬の出来事なのだろう・・・。ならば、奔放に傲慢に生きるのか?いや、ひっそりと生きて行きたいと思っている。
15kmぐらいのトレッキングだった。いい時間を過ごすと、頭が空っぽになる。空っぽになる所に、また新鮮な感動が湧いてくる。だから・・・いや、山や自然に触れることに価値を見出せる自分であることが有難い。なにやら、日頃のドロドロを、ドロドロと身体に蓄積させ、身近なギャンブルやアルコールで、さらにヘッドロドロと凝固させているのは、やはり悲しい気がする。 来年は、ママや子供達も連れて行きたいと思っている。いい一日を過ごし、付き合ってくれた仲間と先輩に感謝し、身近にある霧島の自然に万歳!である。
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