2005年12月17・18日 「比叡・忘年会〜丹助山家族登山」宮崎県
1996年、我が家の登山が始まった・・・。 私37歳、ママ36歳、長女7歳、次女4歳、長男3歳、留守番の次男1歳の時である。 この日の事を、エッセイに書いている。「野いちごの風が吹いた。」
17日の夜は、山の会で借りている比叡の家「麓屋」で、有志忘年会をすることになっていた。去年も同時期に忘年会+納会クライミングをしたので、周到にこの日だけは会社に休みを申請していた。 ただ、去年は私だけが岩を登り、ママや子供たちは待機としてしまい、「折角、皆で行けるのに・・・。」と、ママに注意されハッとしたのも正直な所であり、ママが99山目になると言う事も気付いた。ここで、皆で山頂を踏んでおけば、上手くすれば正月辺りに「ママの100山目」を皆で祝えるかも知れない・・・と思った。行く「麓屋」からは、あの「丹助岳」も見えている。私の、いや家族全員での山を、再確認するにはいいチャンスだとも思った。 仕事を終えて、比叡山の麓にある「麓屋」へ向う。途中、今日が誕生日の次女の為に、日向で食事をする。「いつもの様に、家でお母さんの食事の方が良かったナァ・・・。皆で、いつもの様に飾りつけをして、一人一人にお祝いの言葉をもらって・・・。」と、次女がつぶやいた。でも、こんな珍しい誕生日の過ごし方も、きっと彼女の思い出に残るはずと信じている。途中、降り出した雪は、綱の瀬川沿いを走る頃には積もっている・・・「きっと、お前の為に降る雪だよなぁ!」という私の言葉に、次女が満面の笑みを浮かべた。
麓屋に到着すると、もう仲間達が宴もたけなわである。ワイワイする宴の中にワイワイ溶け込むと、なんと、あの「三澤澄男」さんが座られていた。憧れの御大の前では、皆ヒヨッ子である。私のHPも見ていただいてるらしく、感激極まってしまった。お話する間もなく、「さぁ、鹿川神楽へ行くぞ!」と言う事になり、まだ一杯も飲まない内に車に飛び乗った。 鹿川公民館までは、降り積もる雪の中を車で走る。山里の夜は、人家もまばらで暗いが、公民館周辺はたくさんの車が駐車していた。あいにくの雪と風で、外に組まれた櫓でなく、公民館内となっていた。以前、テレビ撮影でご一緒させていただいた地元の戸高さんにも再会できた。振舞われた、素朴な料理と焼酎をいただきながら、神楽8番「武智」・9番「袖花」を見た。
雪のたくさんついた「六峰街道」方面が気になった。「諸塚山」に行こうか!と考えたが、目の前に家族登山の原点となった「丹助岳」があった。ママの99山目となる山行であるが、あの時家族登山に次男の姿はなかった。なんだか、少しあの頃の気持も確認してみたくなり、家族6人で山頂へ立ってみたくなった。
30分の登りだと思ったが、防寒対策と簡単な食料、そしてアイゼンは背負い出発する。物を忘れる・・・、あるのに携帯しない・・・は、やはり基本を欠く事になる。案の定、山頂から天狗岩の基部を通る時に、踏み後の無い急な下降路になりアイゼンを必要とした。
ため息の出る丹助岳山頂からの眺望である。あの時も、こんな素晴らしい眺望に感動した。10年経てば、山頂から見える山々の名が判るようになっていた。でも、その山々が何年経っても変わらぬように、あの時の気持は変わらないままでいようと、私は思った。あの時、「家族をもっと近く感じたい・・・。」と思い「家族全員で出来る何か・・・。」に、山登りを選んだ事を・・・。 子供たちが、いつまでも私に付き合ってくれなくても良いと思う。私は、子供たちが自然な形で、山登りから遠ざかっていっても、今までの山を通して「家族」という絆を深く理解していると思っているから・・・。でも、もう少しワガママな親父に付き合っていて欲しいなぁ〜(^_-)〜☆
長女73座目、次女81座目、長男89座目、次男70座目、の山頂となった。そして、ママの99座目でもある。正月に皆でママの100座達成をお祝いしてあげれるといいなぁ〜d(-_^)good!! 長男、姉達の後を追い、受験すると決めている。今年の正月は一応、自宅待機を基本にしているが、『遊びてえなぁ〜』親父のワガママ行動が出てしまいそうな気もする。
17日/自宅17:45----日向市にて食事19:15----比叡・麓屋21:00----鹿川神楽21:45----麓屋戻り23:00----就寝----18日/起床7:00----朝食・片付け----麓屋出発10:00-----矢筈展望所10:30----丹助小屋10:50----登山開始11:30----丹助山頂12:05----下山12:20----丹助小屋13:12----昼食----帰路へ14:00----こんにゃく村----自宅17:00
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