2005年12月7日 「2.5スラブルート/比叡山」宮崎県
実は、土曜日の朝、下腹部がヒヤヒヤして落着かなかった。「尿道炎?」「膀胱炎?」と、勝手な診断を決め付けていたが、近くの山が白くなった月曜日、私は仕事で車を走らせていた。ふとした瞬間、右脇腹から骨盤辺りにかけて、引きつるような痛みに突然襲われた。次第に、その痛みは右脇腹から、月曜からヒヤヒヤジクジクしている下腹部につながってきた。なんとか、車を自宅まで走らせることが出来た。 尋常ではない引きつった顔をしていたのだろう・・・。ママが、病院へ行こう!と、私に促した。それどころではなく、ソファーの手前に腰掛けながら、右脇腹から下腹部へ連動した痛みに耐えていた。30分程度だろうか・・・、少し痛みが和らぎ始めたのを見計らって、同級の病院へ駆け込んだ。エコー検査で、腎臓から膀胱への尿路に「結石」が出来たのだろう・・・という診断であった。・・・だろうと言うのは、エコーで確認できないが、痛みの具合と症状が、正にそうだと言う事である。注射をしてもらい、15分程度でスッキリするほどに痛みが無くなった。何がどうなのか・・・と、疑心暗鬼の状態で、言いつけどおり1日3回の処方薬を飲んでいる。 小松の親分の「どうですか?明日・・・。」の電話に、二つ返事で水曜登攀を受けた。
待ち合わせの都農神社で合流すると、一週間の出来事諸々が、まずいつもの話題である。「尿路結石」の話をすると、なんと小松の親分も4年前に結石で救急車搬送され「衝撃波治療」を受けていたそうだ。私の痛み以上の痛みを味わっていた。かといって、今日の登攀への不安が解消したわけでもなかった。私の不安は、登攀中にその痛みに見舞われたたら迷惑をかけてしまわないか・・・という事。強い鎮痛効果のある座薬をリュックに忍ばせていた。
【2.5スラブルート】 1998年開拓 1P/50m/4級・・・1スラ 2P/20m/4級・・・3スラ 3P/35m/8級- 4P/35m/6級- 5P/40m/4級- 6P/45m/4級+ 7P/35m/4級+
*実際は、3Pを30mの辺りの平行ピンでピッチを切り、4Pも3Pの残り5m+15m辺りの平行ピンと、残り20mに分けて登っている。
不安が、今日の登攀を負の方向にのみ引き込もうとしていた。そもそも、下手なクライミング技術で、「2.5スラブルート=8級(@_@)」の重圧に、尿路(ニョウロ)結石というなんともミミズやヘビがニョロニョロするみたいな病気も重なり合って、ずいぶん重々しい気持であった。 「今日は、私のリードからでいいですか?」と、4級50mを攀じらせてもらうと、ビレーする立木位置から向こうの「六峰街道」付近の山々が雪に覆われたのがバーンと目に入り、少し吹っ切れた気分になれた。
この「棘」に阻まれた藪に、相当参ってしまった。特に突っ込んだ小松の親分は、直後が8級ルートでは辛かったのだろう・・・、「今日は右(5級)でいいですか?」と、私に聞いた。私に反対意見があるはずもなく、「いいですよ!とにかく上へ抜けれればいいですよ!」と答えながら、しばし息を整えた。
3Pは、2.5スラブのハイライトである。左に8級-/右に5級が、その選択をどうするのか、クライマーにニタリ顔で問いかけるかのごとく、立ち塞がる。さっきまで、右5級を行きます!と言っていた小松の親分。「登ります!」と動き始めると、手は左の8級-ルートのホールドを掴み、ずり上がるとスタンスも完全に左へと立っていた。「挑戦せずして逃げる方が辛い!」そう言いながら、かつて山の会の会長をリードし、ここを登ったことのある小松の親分は、記憶を繋げるように、しかも、スルスルと登った。1ピン・2ピンはハンガーボルトであるが、ここの微妙なバランスは完全にしびれた。そして、そこから上の傾斜の強いスラブへ打たれたRCCボルトとリングボルトは、A0で切り抜け(私はA1)た。
ヘロヘロになりながら、2.5スラブの核心ルート「3P/8級-」は、フォローする私としては、最初のハンガーボルトの2ピンまでフリーで抜けられたのが嬉しかったし、後のスラブのボルトはA1になったものの、これも難しくてなんとか克服できたことが、とても嬉しかった。 しかし、その余韻どころか、次の6級-と標記された4Pは、それはそれは恐ろしかった。クラックは埋まり、草が生え、岩は苔むして滑る。右にあるブッシュに逃げてしまえば・・・と、思うもそれではルートから外れてしまう。ズルズル滑りながら、フィフィでのレストを交えながら、なんとか登れた。
5Pは、私がリードさせてもらう。そのまま直上で、もうすぐ終る・・・と思えば、すでに昼食ムードであった。つるべで更に直上した小松の親分が、「あれっ!間違えて2スラに来てしまった!」と上から叫んだ。有名な落ちそうな岩が、細いスリングで縛られているのが出て来たそうだ!「そのまま登ってしまってもいいですよ!」と、声をかけた私に、「折角だから、2.5スラを登りましょう!」と、右のブッシュに入り懸垂下降してきた。 少し緊張の糸が切れかけた私は、正規ルートに戻り最終ピッチをリードしたとき、足に力が入らず指先はヒリヒリ痛み、自分の能力・体力の無さを実感させられた。
「寒さ対策」をいろいろと準備して来た。結果的には、あまり寒くない南面スラブであったが、時として吹く風や日影に効果絶大であったのは、薄いフリース生地でできたヘアーバンド(耳を暖かく出来る)と、靴下のつま先に貼り付けた使い捨てカイロである。
結局、いつもの様に、チョンボ有りの登攀内容だが、上達著しい小松の親分の登りをフォローすることが出来た。満足である。しかし、急に体力が落ちたみたいに感じている。「寒さ」に立ち向かい、ますます果敢に攻めるクライミングなどを、実は目指していない。楽しく感じるクライミングがいい・・・。その為には、冬場は少し別の遊びに興じると言う事も必要なのかもしれない。水曜登攀隊の納会クライミングは14日を予定している。
自宅6:32----佐土原駅----都農神社7:30----比叡駐車場9:08----入山9:33----取り付き9:33----登攀開始9:42----8級の3P10:50----登攀終了14:30-----昼食----下山開始15:30----駐車場16:05----帰路----日向お舟出の湯----自宅19:20
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