水流渓人「hot-news」

2005年11月30日 「魔のニードルルート/比叡山」宮崎県

 

時として自然の牙に飲み込まれてしまう・・・。
今週は、鉾岳ではなく・・・って事で出かけましたが・・・
  

 前日、「明日は行けますか?」と小松の親分から電話を貰ったとき、「どこを登りますか?」と聞いてみた。「んー、ちょっと捻挫をしたみたいやから・・・。」と電話は切れた。私の予想では、その捻挫は足?と直感したが、翌日の登攀の時、その事を聞くことは無かった。もう一つ予想は、『鉾岳ではないな!』『比叡だな!』『しかも、比叡で登っていないのは・・・。』という直感である。そして思い浮かんだのは、【ニードル左岩稜】である。ニードルは頭まで3度登っているが、懸垂下降後のAピークまでを登っていないからである。
待ち合わせ場所は、いつもの都農神社。駐車し、居眠りをしていたら、いつの間にかドアが空きリュックが積み込まれ、小松の親分が乗り込んできた。「ニードルにしましょうか・・・。」と、予想通りそう言った。
 しばらく鉾岳へ通っていたので、比叡はとんでもなく近く感じた。いつものように誰もいない駐車場で準備をした。登山道になっている比叡神社から千畳敷までは、最近整備され歩きやすくなっていた。千畳敷から取り付きまではゆっくり10分程度である。思いもよらず「スーパールートから行きましょうか!」と言われてしまった。それにしても寒い。

     
千畳敷からニードルを見る・・・。Aピークに飲み込まれている。
    
  
看板はここにもある。 往年のボリエール「フィーレ」
     

 ニードルのスーパールートは、ノーマルダブルフレークのある所から左に20mくらいの所である。チムニー状の岩を上がるとコーナー気味の傾斜の強いスラブにボルトが打たれているのですぐに判る。ここまで来ると川から吹き上げてくる風が強く寒くて、ウィンドブレーカーを着込んで支度をした。曇り空に風・・・気温は4度だが、体感は相当冷たく感じていた。以前、どう登ったのか・・・とにかくきつくて、横たわる松の木を過ぎてゴトゴト動く岩を抱いて恐ろしかった記憶だけがよみがえる。小松の親分をビレーしている間に、出来る限り体温温存を心掛けたが手の指先は完全にかじかんでいた。フォローするが、以前の登りよりふがいなく、初っぱなからアブミでないと松の木に到達できなかった。指先に感覚は無い。

  
  
 
  
2Pノーマルのフレーク 小松の親分は、あっけなくリードした。
        

 1Pを登ると、小松の親分は震えていた。2Pはノーマルを行きましょう!もう、今日は頭までの3ピッチで終了しましょうか?と言った。私は、1Pスーパーをフォローしたたげで相当に体力を消耗していた。でも指先はかじかんだままで、体は冷えたままである。以前登った事のあるスーパールートの1Pに跳ね返され、なんだか今までのクライミングを、全て否定されているみたいで落ち込んでしまった。この落ち込んだ感覚は、そのまま吹き付ける風とニードルの魔力で、すべてが恐怖に包まれてしまった。
 2Pをノーマルへ・・・と言った小松の親分であったが、この2Pの特徴的なフレークも手強い。しかし、今の小松の親分は数秒で片付けて抜けた。風は終始左から吹き付けていた。続く私・・・、ボリエールの「フィーレ」という履きやすいが踏ん張りにくい靴・・・しかし往年の憧れの靴を手に入れ、喜び履いて来たが、技術・能力の低い私にはいつも履いているファイブテンのステルスラバーで立ち込めた第一歩・・・どうしてもスタンスが決まらず「靴?」なんて、実力の無い言い訳しか出来ない自分である。単に怖がっているのである。左のスタンスに足をかけ、瞬間・・・右をスメアで止めればフレークの角に右手が決まるのである。知っていて出来ないだけだ。掴めば、フレーク伝いに右へハンドトラバースし、十分に右へ体重移動出来る体勢を作り、左足をポケットに突っ込み、右足をコーナーに当てればレッジ?にずり上がれる。ハンドトラバースのフィンガークラックにブレード状の支点が叩き込まれていて、その横をチッピングされていた。皆、悲しい思いでここを通過していたが、そのブレード支点は外され今までの様にすっきりとしたフレークになっていた。でもその横の叩き割られた岩は元には戻らない・・・。
 フレークを過ぎれば、ハンガーボルトが打たれているが、以前は無かったらしい。しかし、ここからも傾斜のキツイガクガク動く岩のクラックを掴み上がるので、ありがたいボルトでもある。立木のビレー位置に上がると、小松の親分は緩んだ風のせい?なのか、やはり最後まで登りましょう!とモチベーションを上げていた。そのまま10mほど私が上がり、3Pの取り付きまで先行した。

  
3Pの取り付きから千畳敷を見下ろす。そこから更に300m下の川底も見えている。
  

3Pのクラックをたどり、ニードルの頭へ抜ける。
  

 また風が強くなってきた。最後まで登ろう!と言いながら、意欲的に3Pをリードした小松の親分である。セットするフレンズの数も少ない。さっさと視界から消えていった。本当に上手な登りになった事を実感できる瞬間である。だから私も登らせてもらえるのであるが、ロープを風がビュンビュン引っ張る。「登って来い!」風にかき消されるように、かすかに声が聞こえた。「登ります!」聞こえたか判らないが、ロープを通して意志は通じているのが判る。フォローしながら、クラックに差し込んだ左手・・・左足・・・、踏ん張れない。力がなくなってしまっている。「怖さ」が、余計に体力を消耗させ、体を岩にへばりつかせているのだ。頭では判っている。でも出来ない。容赦なく風は吹きつけていた。おまけに、セットしたフレンズが横にずれて外れにくくなっていた。落着いて考えれば、私はフォローである。ロープにぶら下ったまま落着いて外せばよいものを、微妙なスタンスに右足で耐え、左手でガバを掴んだまま自己の体重をささえつつフレンズ回収をしていた。でも、ロープへ乗っかってしまう・・・のは最後である。それだけは避け、折角確保された状況なら、挑戦を怠ってはイケナイという感覚だけは残っていた。いつもよりずっと難しく感じながら、ニードルの頭で待つ小松の親分の前に出た。
 「ここで止めましょう!」そういう小松の親分の気持も状況も、理由を聞く必要は無い。「さっさと降りて温泉へ行きましよう!」そういいながら、私は懸垂下降するための動作に移っていた。
 
 下に投げたロープは、風に流されて90度ずれて谷底へ落ちていった。「しまった!」と、脳裏をかすめた。末端をエイトノットで処理してあるので、どこかに引っ掛かるかも知れない!と、瞬間思った。急いでたぐると、枯れ木に引っ掛かったが上手く折れて外れてくれた。小松の親分に先行をお願いし、私が上から徐々にロープを下ろす事にした。
 下降が完了した時、お互い少なからず動転していた。確かに、ニードルの岩はいつもの岩かもしれない。私達の気持が、ニードルに飲み込まれていたのだ。「魔のニードル」と題したのは、本当にそこに魔力を感じたからだ。本当に、私は恐ろしくて、そこから逃げるように下山した。そう思った。

  
  

 冷静に考えてみれば、4回登ったニードルの岩は、変化の無い岩である。ニードルの頭から、4回懸垂下降したのは事実である。しかし、震えるような恐怖を感じた。魔の暗闇に下りていくような錯覚を見た・・・。
 「岩」・・・。「風」・・・。「寒波」・・・。そして「比叡山」。それは、あくまでも自然である。その自然に逆らうように、岩の弱点をたどり、時には岩肌にボルトを打ち込み、私達は登る。本当の「魔」は、自らの胸中に潜み、敏感に自然の変化を感じているのかも知れない。

  
   

 ・・・なぁ〜んてね(^_^ゞ。いつもの大袈裟な水流渓人流の表現なのかも知れないが、今の私がこのニードルをリードで登れば、滑落して死ぬ事には違いない気がしている。
 夕日が、尾鈴山塊の端っこに沈んでいった。

   
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自宅6:25----佐土原駅----都農神社7:30----比叡駐車場9:12----入山9:25----取り付き9:36----登攀開始10:05----ニードルの頭12:20----懸垂下降終了12:45-----千畳敷13:20----昼食----帰路----日向お舟出の湯----自宅17:20

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