2005年11月9日 「KYCルート・雌鉾岳/水曜登攀隊」宮崎県
*当初、私たちは上部の「2〜3の坊主」のチムニーを「インディアンチムニー」と思い登ったが、直上する「1〜2の坊主」間が、正式なインディアンチムニーと判った。(2008.04.25加筆)
槇峰から鉾岳を目指す。紅葉は里に下りてきている。いつもの比叡山登山口には、今週も平日にもかかわらず登山者を乗せ来た福岡ナンバーのマイクロバスが、横向きにドデンと駐車されている。後から来た自家用車が、実に止めにくそうに切り返して入れていた。縦向きに十分駐車出来るのに、どうして横向きしなくてはならないのか・・・と腹立たしくも思ったが、一人一台ずつマイカーで山中に入って来る登山者と、どちらが迷惑か考えてみたら、どちらにも大きな主張があるように思えた。 上鹿川の集落は、秋の収穫の時期を迎え、朝から忙しそうに高齢の方達が動き回っている。橋から見た渓谷は、先週より色濃くなっている。キャンプ場付近の紅葉は最高潮となってきていた。
「日本の岩場」の本によると、1978年7月24日に新谷正信さんと、中原聡さんにより開かれた。雌鉾のスラブに初めてルートが誕生した。「宮崎の岩場におけるスラブ登攀の口火を切ったルートでもある。」と書かれている。 この川床に立ち、2人は何を信じ、ここを登ろう・・・と思ったのだろうか。見上げればあまりにも圧倒的な一枚岩が、今にも前に倒れんばかりのスケールで迫っているではないか・・・。
5Pをリードして見下ろすと、まだまだ綺麗な紅葉が混じる景色である。IV級と聞けば、嬉しそうにリードする水流ちゃんであるが、30mノーピンのランナウトにも初見で平気な程・・・成長?したのだろうかねぇ〜(^_^ゞ 「初見」やはり、それは一生に一度しかないドラマでもある。ルート図を見ながら、小松の親分と私は、水曜日にいくつのルートに巡り合っただろう・・・。厳しさを想像すると押しつぶされそうになるが、小松の親分はいつも果敢に立ち向かってきた。そして、私を導いてくれた。私に出来ることは何だろう・・・と、いつも考えながらレポートを作っている。 小松の親分と始めて会ったのは、私が宮崎に戻った頃、県内のアウトドア好きが集う「OutDoors FREAK Club」に参加した時の事だった。中途半端なアウトドア好きの私が、「児湯カヌークラブ」精鋭の小松の親分に会ったのである。球磨川や川辺川など、ずいぶん助けられてカヌーツーリングを楽しんだ。(思えば、あの頃から今も助けられっぱなしやなぁ〜)県の国体選手としてカヌー競技に挑んでいた男である。そんな、15年の付き合いが背景にある。
KYCルートの核心とも言うべきコーナーの乗り越しを迎えた。クラックに土や落ち葉が埋まり込んでいた。掃除しながら、やり過ごしていく小松の親分はさすがである。コーナーを登り上がると、あまりにもあっさりと終了点にたどり着けた。 「四月の風ルート」、そして「カメレオンルート」と登った。そして、雌鉾スラブ初登の「KYCルート」を登った。登ったルートが増えるごとに、感じる景色が変化していくのは何故だろう・・・と思った。
開拓された方達の思いに触れる旅が、また一つ終った。「水曜登攀隊」のシリーズ第5段である。 ママが仕事を始めたので、私は娘を駅に送り集合場所へ行っている。少し遅い登攀開始になるのだが、こうして毎週のように岩場に通える幸せを感じる。帰宅途中の車の中で、その日の充実した登攀と、家族への感謝の気持に浸る。自宅の車庫に車を入れ、玄関ドアを開ける。「お帰りぃ〜!」という声が聞こえる。荷物を片付けながら、明るいリビンクに入り日常に戻るとき少しの後ろめたさも感じてしまう。それだけ・・・幸せって事かぁ〜と、焼酎グラスを握る。
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