2005年11月2日 「カメレオンルート・雌鉾岳/水曜登攀隊」宮崎県
何も言うことはない。先週、雨で登れなかった「カメレオンルート」に取り付くだけだ。 比叡山の登山口には、クライマーだろう・・・テントが2張り。(後日聞いたのだが、翌3日に、ここを通りがかったnama会長が声をかけたそうだ。北海道から来ていた方達だったそうで、「鹿川・庵」まで連れて行ったそうだ。)そして、マイクロバスでの登山者が、たくさん準備をしていた。「水曜なのに、めずらしいねぇ〜」と話ながら、里にも下りつつある紅葉の中を、一路上鹿川地区をめざす。最近、苔むした道路脇の壁に「ようこそ鹿川へ!」と書かれ、可愛いカカシが出迎えてくれる。クライマー御用達の『那須商店』を左に見ながら、去年、廃校になった『上鹿川小学校』が右に出てくると、正面に天を貫かんばかりの鉾岳の岩峰が見える。ほどなくで、消防小屋・・・赤い橋を過ぎれば右折し、登山口となっている鹿川キャンプ場方面である。 この日は、道路の復旧工事が行われており、しばし、車内待機となった。頭を下げながら通過させて貰う。
道具を点検しながら荷物をまとめる。いつも12〜15sにもなってしまうリュックを背負い、息を整えながら登る。登山道から、眩しい紅葉が見えている。さぞ、岩場からは綺麗だろう・・・と想像する。だからといって、このアプローチの急な登りは楽になる訳ではなく、いつもの様に、いつもの所で休憩をしながら取り付きへたどり着く。 今回から、小松の親分に注文を頼んでいた9mmの新品ロープを使用する。私は家で何度かしごいて来たが、小松の親分は、そのまま持ってきたので、出荷状態での巻きのまま・・・すったもんだしながら、ようやくまともになった。準備をしながら、いつも小松の親分がビビル?・・・1Pの50m・4級ーを、私が取り付くことにした。難しい所を果敢に攻めるのに、いつもこの1Pでデリケートになる「お茶目な小松の親分」である。
ビレー体勢に移り、小松の親分を迎える。そのまま2Pをリードし、私が続く。先週、雨で撤退を余儀なくされた松の木である。 3Pを探るのだが、余りにも強引に草付きばかりを繋いで右斜上するので、正規ルートなのかが疑わしくなってしまう。別に、その名のつくルートを忠実にたどることに必死になっているのではないが、折角なら開拓者の心境と対話しながら、感謝しながら、敬意を払いながら忠実にたどるのは楽しいことである。苔むした3Pらしきスラブをヒタヒタ登っていた小松の親分が、支点を見つけて歓喜の声を上げていた。そのまま、立木まで40m右斜上した。そのルート上に、十分に錆びたリングボルトが1本であることを特記しておこう!
そこからは、私が20mほど草付きをさらに右斜上すると、感動する直上の・・・これまたリングボルトを見ることになる。そのビレー位置には、支点は無い。しかし、上下繋がるトンネルみたいな薄い岩の隙間がある。フレンズを2本セットし、小松の親分を迎える。直上のボルトを見て、ここまでしつこく右斜上してきた意味が分かる。150mもの右斜上をしてこそ、登るに価値のある素晴らしいルートが出現するのである。そして、ここから厳しい登攀が始まるのである。
5P、そこに見えるリングボルトに行くために、立ち込むのが難しい。きついスラブの微妙な登攀である。リングボルト・・・、おそらく開拓当時のものだろう。ビレー位置に着くと、安心のハンガーボルトが輝いていた。 ここからの6Pは、ハンガーボルトに替えられているが、初登時よりボルトの打ち足しがあったのだろう・・・間引きされた受け金具だけが岩にめり込んだ所をいくつも目撃した。心境的には、ここにもボルトがあれば・・・と思うのだが、それではなんとなく「カメレオンルート」の何かを感じられずに終わってしまう気がした。大した休憩せず、行動食も口にしないまま、私達は張りつめた緊張の中にいた。背後の紅葉は、近年にない美しさだと感動している。正面を見れば、そのスラブにシビれたまま・・・である。
さぁ、美しいトラバースルートと交差する中央バンドだ。右上を前回登った「四月の風ルート」のコーナーが見えている。少し手前に見えるボルト連打のラインが、庵の秋ルートの人工ライン?(実はフリー化されたVII+級)だと思った。ここから見上げる7Pは、実に印象的だ。ぱっくり口を開け、浮かび上がった様に横に流れるハングである。隙間があり、いつも眺めては「何なんだ!エグいルートやなぁ・・・。」と思っていた、そのルートである。 最初のボルトにランニングを取ると、後はハング上まで20mほどノーピンである。左の立木にスリングでランニングを取ると、フレークを取り付く前に、フレンズをセットした。そのまま一気にレイバックで滑る苔に耐えながらずり上がると、小ピナクル状になった岩角がガバで掴める。ここにスリングをかけてランニングを取ると、フレークをアンダーで掴んだまま右に移り、岩角を利用してハング上に登り上がる。そこに、これまた特徴的なボロボロのスリングの垂れ下がるボルトである。そして、そこからが更に核心となる右トラバースである。スタンスとホールドが決まらず、小松の親分はずいぶん苦労していた。珍しく何度も「落ちるかも知れない!」と口にした。当然、フォローした私も言葉にはならない程だった。途中、思い切ってスリングに下がりレストした事は、とても有効だった。レストの技術を覚えなくては、肥満のパワー系クライミングには対応出来ないな!と思った。しかし、ハング上での右トラバースは、実に究極だった。こう書いているだけで、口がカラカラになるのだから・・・。
8P、少し楽に感じた6−級の登りである。振り返り、対岸の山肌や鉾立谷の素晴らい紅葉にうっとりした。しばし、緊張を維持することに気持ちを入れ替え、あえて行動食は登攀後にすることにした。 いよいよ、最終ピッチを迎えた。7−級だが、最初のピンに小松の親分がスリングをアブミ代わりにして立ち込んでも、その上のスタンスへ行けない。あれこれやって、とうとう外れそうな草を両手で掴んで乗り上がった。その上のピンにロープを掛けると、余りに悔しかったのだろう・・・ロープダウンしてくれと言うではないか!何度かスタンスやホールドやムーブを探った。いつも書くが、この熱心さが支えている水曜登攀隊である。そこから、間引きされたハンガーボルトの穴を恨めしげに見ながら、遠いボルトへギリギリのフリクションで到達する。更に、クラックを4mほど足を入れてはひねり登り上がると、ついに終了となる樹林帯である。登り上がった瞬間、振り返った瞬間・・・谷を埋め尽くす紅葉の錦織絨毯が目に浸みた。
珍しく、気持ちが純粋に「岩」に向いていた。下降路にドッカと腰を下ろし、朝、ママが作ってくれた弁当をむさぼるように平らげた。こんな凄すぎる自然の中に居る私は、いったいどれだけ幸せなんだろう・・・と、しみじみと思った。西に傾いた夕日が、更に紅葉のコントラストを深くしていた。下降路から取り付きに戻った時、小松の親分が「おつかれさん!」と、手を出した。登攀終了してすぐ握手したのだが、忘れていたみたいだけど、もう一度ガッチリ握手した水曜登攀隊・・・・もうすぐ50歳台になる。
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