↑今回は、でっけぇ〜タイトルじゃなぁ〜d(-_^)good!!
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鹿川・庵の精鋭「岩職人」は、またいぶし銀の好ルートを抜いた!
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どこから語ろうか・・・、何から語ろうか・・・と思う。7月後半から8月にかけては、去年も水曜登攀隊は活動を休止した。我が家は子供の夏休みを優先し、小松の親分は仕事の勤務シフトの関係もあって・・・である。しかし、今年は台風14号が、この宮崎地方に大きな被害をもたらした。私の仕事にも影響が出たが、小松の親分の仕事には大きな影響が出た。
「しばらくの間・・・水曜が休めないみたいだ!」
との電話があったは9月上旬のことである。
水曜登攀隊・・・、これはほぼ99%の確立で、小松の親分のモチベーションによる挑戦の活動報告である。行けない事は、私の岩登りの活動が、しばし中止か、相手がいれば登れる所へ・・・が関の山である。でも、それは「水曜登攀隊」の活動ではなく、その真意は「初見ルートへの挑戦」でなくてはならない気もする。私にはフォロー出来るのが精一杯なので、大きいことは言えないが、なんかそんな気がする。
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「水曜日、なんとかなりそうです。」
そう電話を貰ったのが月曜日。いつもの場所で、いつもの時間に待ち合わせる事にした。
小松の親分は、しばらく(夏の間)は月曜が休みになっていて、大分の小半へフリークライミングのルート挑戦をしていた。なんでも、自分がどれくらい登れるのかスポーツクライミングのグレードにも興味があったそうで、5.10台と5.11台を4週ほどで11本登れたと言っていた。前向きな練習には本当に頭が下がる。24日には、めずらしく所属会の山行にも参加し、「白亜スラブルート」を登っていた。
道中の車の中で、いつもの会話である。
「どこ登ります?」
「白亜スラブか、今度の新しいルートがいいと思ってるんですよ!」
今度の新しいルートというのは、6月に所属会の会長より報告を受けていた、鹿川・庵のメンバーさん達が開拓された「ハングの果てに見た夢はルート」のことである。その4ピッチ目?ハング下から右に回りこむ「右ルート」を、会長がピン打ちし抜いたと聞いていた。もちろん下からルートを作る『グランドアップ』という方式で、それはそれは鼻息荒い開拓の真髄である。会長は、いつもの様に
「行って来ないよ!あんた達やったら大丈夫やが!」
と、軽く言う。その都度、ハハァ〜ンッ!きつくて凄いルートやな!と疑い深く思うのである。
水曜登攀隊らしく、『新しいルート』へ、チャレンジが決まった。今回、初めてルート図などの資料もなく、耳伝えのうわさ情報である。
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1ピッチ、強烈なスラブを微妙に左上する。
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核心をアブミで抜けた水流ちゃん(^^ゞ
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3峰に湧き出る名水の所に駐車した。そこからはクライミングシューズを履いて20秒で取り付きである。かつての「天空への階段ルート」の取り付きに立った。直上の天空への階段ルートから、左へ延びるルート・・・「ハングの果てに見た夢はルート」だな!と、疑いもなく見据えた。
「とにかく、上に抜けましょう!じゃ、行きます!」
小松の親分が、いつものようにチョークバックに片手ずつ突っ込む。最初のピンにヌンチャクをかけ、ロープをクリップした。未知の世界への旅が始まった。
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2ピッチもシビアなスラブである
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有る?無い!そんなホールドを拾う。
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3ピッチ、ハング下へ
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キツイ傾斜は、鹿川の川底をすぐそこに感じる
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いつもフリーにこだわりを見せていた小松の親分であるが、吹っ切れた様な見の動きに感じる。エーゼロを交えながら、快調なリズムで登っていく!それでいいと思う!それがいいと思っている。少しインターバルはあったが、ビレーする私のロープ操作も、次第に息が合ってきた。上から被さる様に迫る大ハングであるが、決して私達は逃げる事無く、むしろ「挑む」気持が高まるばかりであった。
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アブミを使用せず、A0でハングを乗っ越す小松の親分。バリエーションの右ルート。
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ハングの上から下を覗く
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果敢に挑み、そしてハングの向こうに姿が消えた。「登って来い!」と力強い声が聞こえてきた。
腰のアブミを確認しながら、「登ります!」と声をかけた。この右ルートは、所属会の会長でもあるnamaさんが開拓したルートである。私は足元にも及ばない、尊敬する大先輩の開いたルートのピン1本1本に、思いを馳せながら、最初のピンからアブミをかけた。フィフィにぶら下げた2本の3段アブミは、ハーネスに細引きでぶら下げている。少し怖いが、回収が楽だ!フォローA1の早業であり、何が何でもズリ上がらねばルートの終了点に立てないのである。回収に手間がかかると、私の巨体は容赦なく腕や手を締め上げる。登れなくなる事は、敗退を意味するのである。
てこずったが、なんとかハングをやり過ごせた。不安定なビレー位置に達すると、
「まさに、水曜登攀隊の真髄・・・初見ルートへの挑戦!すごい充実感やわ!」
と思った。
すぐ、次の動作に移り、ハング右上のクラックを数メートル攀じ登ると、キツイ右のスラブに回り込んだ。浅打ちのボルトが見えた。会長が言っていたボルトである。キツイ体勢のまま、電動ドリルのバッテリー切れで、進退極まった・・・と話していた所だ!よく耐えたと感心するほどキツイスラブである。隣にしっかりと打ち足したピンがあったが、私はあえてこの浅打ちのボルトにアブミをかけた。
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最終の6ピッチ
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終了点手前のリングルトは、横に逃げないように!との忠告に見える(^o^;)
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比叡には珍しいハンガーボルトの平行ピンで登攀を終えた。すぐ隣には、印象的な「白亜スラブルート」の終了点となる【石舞台】が見えた。ガッチリと握手を交わし、石舞台の上で遅い昼食を取る。
また、水曜登攀隊の何たるか・・・を味わってしまった・・・。
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石舞台から下を見る。
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下降路で、少し紅葉した木を見つけた。
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きついからこそ、そして初見であるからこそ・・・の感動は大きい。小松の親分に登らせてもらっているだけの単純な構造である。でも、私にとっては実力に及ばないルートに足跡を残せている事自体が今の喜びなのである。また一つ、忘れられない旅を経験できた。かみ締めながら、下降路を一歩ずつ下ることにしよう!
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自宅6:20----都農神社7:00----比叡水場9:10----登攀開始9:40----終了点15:50----下山16:25----駐車位置16:50----帰路----日向お舟出の湯----自宅19:30
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