水流渓人「hot-news」

2005年6月8日 「ニードル左岩稜ルート・Wフレーク登攀」宮崎県/比叡山

 


 
  

水曜登攀隊、初見ルートの旅は続くのだ・・・

 
ようやく復帰・・・と、3峰の「左方カンテルート」を小松の親分に所望したのが、すでに4週前。会社の旅行やら、テレビ局の手伝いやら、仕事やらで、間が空いた。
 ・・・と、今週。台風4号接近ぢゃないか(-_-メ)・・・中止かぁ・・・と思っていたら、「ダブルフレークを通って、ニードルの頭まで3P行きましょうか?曇りの予報みたいですよ!」と、小松の親分から電話。天気なぞ自然の成り行きだが、他の誰かに「降らないでしょう!」と言われるとそういう気になれる人間を【ノー天気な人】と言うのかも知れないナァ(-_^;
 ・・・で、ニードルの【ダブルフレーク】である。ニードル左岩稜ノーマルルートの1Pは、右「4級」・左「6級」の25m・・・、その左に行く。グレードを気にしない事はないが、岩を登りに来ているので数字やアルファベットを登りに来ているのではない。当然、登れない事の方が多いのだが(^_^ゞ、なにがなんでも上に抜ける!・・・の気持がある限り、【水曜登攀隊】は存在して良し!と思っている。すべて小松の親分のおかげという事実もあるのだが(^^;)
 ここの記録って、「K1」さんのページにしかないんですよネェ〜と、何度も眺めたダブルフレーク・・・。腕力・集中力、そして登攀能力が限界を越えた。
  

台風4号接近で、雲行き怪しい空・・・「ダイジェストフォト」
 
 

 待ち合わせの都農神社から日向市・金ヶ浜すぎまでは、右手に太平洋を見ながら走る。台風の影響で荒れた波、早い動きの雲である。
 小松の親分は、日頃は自然のボルダーを中心に楽しんでいる。私よりは休みが多いが、やはり平日の休みが多いので1人でも楽しめるボルダーをしている。近い、「尾鈴」「小丸ダム下」が主のエリアで、夜は人工壁も通ったりしている。
そんな努力が水曜登攀隊の要であることは明白(^-^)
 ノー天気な水流ちゃんと言えば、パートナーをガッチリ確保し、上に抜ければ、私も上に行けるのだ!などと、他力も他力・・・その管理されていない体型を見れば、本当に無責任ともいえる日頃の無神経ぶりである。

  
登山道から入山 比叡神社横を通る時、安全を祈る
1P/ダブルフレークは異空間だった(-o-;)
この取付からの5mが登れない! Wフレークをやり過ごすのに2時間半かかった
  

「今日は、頭まで3Pだけと決めたんだから、納得いくまで挑戦していいっすよ!」
取り付く前、私は声をかける。登ったこと無いんだから、判り様もないが、あれこれ声をかける。無責任かも知れない。でも、こうやって【水曜登攀隊】は、誰に教わる事もなく2人で、初めてのルートにチャレンジしてきた。山の会の先輩達に連れて行って貰っていたら、いつまでも【挑戦】する気持は持てなかったと思う。私達の足跡を、あれこれ指導・批判する声を聞く時、ほとんど心に響かないのは、それなりに挑戦し達成感を味わっているからだと思う。
 私は、まったくクライマーではなく「岩触人」である。そして、【アルパインクライミング】という枠や線引きを意識するなら、決してその域に足を踏み込むことは無いと思っている。ボルダリングを楽しむ人、フリークライミングを楽しむ人、そして日帰り可能なマルチルートを楽しむ私。皆、「岩」を登る人達である。それだけでいい。そして、私は小松の親分と、今日は「ダブルフレーク」を登りに来た。それだけの事である。
 
 1Pの取り付きから5mが、この日の全てだったのかも知れない。フリーでトライするも、2時間が経過し体力的にも精神的にも一杯一杯に来ている相棒を、私は尊敬して見ている。同行できることに感謝している。
「とにかく、上へ抜けましょう!」
そう、小松の親分は言うと、フレンズにスリングをかけアブミ代わりにして立ち込んだ。さらに上へフレンズをセットし、それに下がる。ようやくスタンスを決めると、後はフリーで乗り越えていった。やはり、スタミナは大したものだと思った。
  
「登って来い!」
その声に、私は驚いた。自分も登らなくてはイケナイのだ!。何度か上へと、手足を使ってみるが、なんら有効な手段は無い。【上へ!】の一念(本当は、以前から鍛えた潔いチョンボへの決断)は、ロープを掴み上がる事で、なんとかスタンスへ体を持ち上げることが出来た。その時すでに、腕力の120%を消耗し、後は野となれ山となれ〜である(ウソ)。必死に噛り付き、一つ上のホールドを押さえれば、一つスタンスをズリ上げ・・・・・と、ジリジリと核心部を過ぎ、フォロー出来た。そんな時でも、人とは変なものだと思った。もうダメだ!と思いながら攀じる瞬間に頭の中を反復する言葉がテロップの如く文字で流れるのだ。「ここはニードル!カップ・ニードル!なんちゃって!」と、実に馬鹿馬鹿しいのだが、カッラーメンよろしく「カップ・ニードル!」の言葉・・・でなく、文字で頭の中を流れる。そうこうしながら、登れた。

  
2Pフレーク、
  

 ニードル左岩稜の代表的な2Pのフレーク。もう一つここの名物は、写真中央部に見えている黄色いスリングが通してある「回収不能になったフレンズ」である。手前にフレンズで支点を補強し、フレーク沿いに上がり次第に細くなり指が入らなくなった辺りのポケットにスタンスを決め右コーナーにステミングで立ちこみ右岩角を抱くと核心を抜ける。(理想的には・・・)
 誰が足したか?その核心のフィンガークラックの終点付近にプレートにリングの支点が「増設」されていた。「誰だ?」と思うどころか有難く利用させてもらったナサケナイ(-_-メ)。最初のダブルフレークで、今までの蓄積されたものを振り出しに戻されたかのような無様な登りである。

  
以前敗退した右ルートの1P終了テラス ずっと見えている千畳敷
  

 3P、快適なはずだが、怖くなるととことん怖くなるものである。怖いとクラックに体が寄る。寄ると不安定になり、ますます怖い。頭では判っているが、頭の中は、カップ・ニードル!」 がリフレインしたまま・・・・。長い長い、いつになったら頭が来るのか、ツライ登攀であった。

  

 ニードルの頭で、おそらく2人とも「怖さ」の中にいた。3Pのセットされたフレンズの数は、おそらく小松の親分の心を表していたような気がする。でも、それを感じ取れる自分でなくてはならない。パートナーシップってそんなものかなぁ〜と思うのだが、それはやはり「強い」「挑戦」「限界」を意味する【クライマー】という域に無いからかも知れない。私は、いつまでたっても、怖がりの【岩触人】であってもいいと思っている。(^o^;)
 ヒビッたままでの懸垂下降の体勢は、ロープの滑りも最悪で、下降したのも岩の一番狭い所に、この水流渓人様の巨体がチョックストーンの如く挟まり込んだ。(@_@)やおらリュックを外して、ロープ末端をたくし上げ、リュックを連結して先に転がり落とし、多少狭くなっている横向きの姿勢でズリズリズリズラ〜と、下に排泄されるかのごとく落ちていった。(下降終了!(^-^))

  
千畳敷に戻ってきた。あの怖さが、恐ろしい「達成感」に変化し、
「次は、どの初見ルートに挑戦しましょうか?」ってな会話に転じている。
  

 いつもの様に、帰路は「お舟出の湯」日向市で締めくくる。台風の影響で、荒れた海を眺めての露天風呂は良かった。岩にぶち当たり砕ける波のしぶきが、爽快である。あちこちに出来た擦り傷が沁みて、さらに達成感を盛り上げてくれる。

 
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  自宅6:30----.都濃神社7:05----比叡山登山口8:40----登山開始8:55----ニードル取り付き9:10----登攀開始9:30----ダブルフレーク1P終了12:20----ピーク14:40----懸垂下降----千畳敷15:35----駐車場・昼食----お舟出の湯17:30----帰宅19:20

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