2005年4月13日 「西都市・速川神社へ・リハビリ第三弾」宮崎県
「こんどん休みは、しょうりつ姫に参りに行くちゃけど、おまえも行くか?」 「うん。じゃけん、なんでいっつも生卵を投ぐっとね?」 「へびの神様じゃかい、卵が好きなっつよ。」 「へぇ〜。」 幼い頃、母方のばあちゃんと、年に数回行っていた「しょうりつひめ」である。瀬織津姫命(あるいはタイトル字)・・・と書くのだが、最近では「速川神社(はやかわじんじゃ)」と言う人の方が多くなっている。神社は、天孫ニニギの尊が、伴人である瀬織津姫命を速川の瀬で亡くしてしまい、御霊を慰めるためであるいう伝説が残されている。神社の周辺に有る滝・・・七滝の内の一つ「蛇滝」、龍神信仰からへびの神様となったそうだ。 ばあちゃんとお参りしていた頃は、国道219号線の杉安発電所上から吊橋を渡って行っていた。急な坂道があるので、いつもばあちゃんの腰を押して登るのが私の役目だった。
往復6kmの、さほど高低差も無い歩きだが、骨折後の歩きとしては最長である。自転車で走った6日・13日に続いてのリハビリトレーニングのつもりだが、カカトを山道に慣らすのが目的である。それより、弁当を作り、ママと二人で歩く・・・という状況も、本当に久しぶりである。ママより遅い歩きで、自分の足ばかり気にして歩く私・・・。そんな私に、咲く花を見つけては教えてくれるママである。
卵をお供えし、ローソクを2本立てお参りをした。参道の登り程度で、私の太ももやふくらはぎは充分な刺激を受けていた。気分を高揚させ、山へ対する情熱みたいなものを「岩登り」に傾け、そして攀じってばかりいた。いつも休みは岩に張り付いていた。そして、怪我したがために少しの歩きしか出来ない時、ママと歩いていた。そういう時ぐらいしか・・・という状況が、本当に辛く感じた。体調もすぐれないママが、復路を行進曲を歌いながら腿上げをして歩いていた。私に付き合ってくれていた・・・。 「足が治れば、また岩ばかり行くしねぇ・・・。」 と言ったママの言葉が、いつまでも響いていた。
遠回りして帰宅した。しばらく出来なかったこと・・・、洗車をしてワックスをかけた。ピカピカになった車に乗って、宮崎市内のママの病院へ向った。
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