> 2004年12月15日 「水曜登攀隊/失われた草付/比叡1峰」宮崎県
軽く川キョン先輩が、「2ピンぐらいまでなら行けそうですね・・・。」と、ノー天気に言った瞬間に「ならば!」と、KYさんがトップロープを掛けてくださった。ご自身の開拓ルート「白ピンのナックルフェイスFYKルート」の核心1Pである。「ここの3ピンまでが、最難関5.10Cあるかなぁ・・・。」実際に登っていただいた。川キョン先輩と私は、1ピン目で敗退・・・足をズリ上げる瞬間、左爪に全てが乗る・・・究極のフェースである。以前の私達は、ここの3ピンより上から登り始めていた事が判明(-o-;)
水曜登攀隊、今年の納会登攀となった。年末年始のスノボーに「八甲田」へ行く小松の親分、ようやく私念願の「失われた草付」を付き合ってくれた。一方、「川キョンを守る会」なる謎の会が、なぜか「川キョン保存会」と称号を変えた。伝統芸能なのか、天然記念物なのか、歴史的価値あるものなのか不明であるが、そんな「川キョン保存会」は、やはり鹿川・庵のHIDEさん曰く、会長がKYさんで、ご本人が事務局長であるそうだ。そして、この日KYさんのリードを引くというのだから、やはり川キョンは偉大な先輩の地位は不動である。しかも【奥の細道6級〜5級〜FYK5.10b〜5.5〜5.9】なのだ!そして、この日、失われた草付を登る私達の右方からは、KYさんの蚊の鳴くような叱咤激励の声と、ドスの効いた川キョンのハイッという返事が鳴り響くのである。(◎_◎)
【失われた草付ルート】比叡1峰 *1P/VI級/30m 傾斜の強いフェース。出だしのハングを過ぎ右のフェースが核心。 *2P/IV+級/35m スラブ *3P/右VI級/50m 右VI級、左V-級、中央のフレークをたどればIV級 *4P/IV+級/45m ピン間隔が遠いスラブ *5P/IV級/35m スラブから小フェース
失われた草付1Pは、想像通り厳しかった。ハングはスタンス・ホールドともに多いが、2ピン目を過ぎ、左の段違いへ行かず、のっぺりした右フェースを行くのに度胸が要る。心理的に左の段違い沿いなら・・・と思ってしまうが、行きかけた小松の親分は進退極まり、1箇所A0となってしまいオンサイト出来ずに悔しがっていた。私は、フォローでも2ピン乗る始末・・・、「あー、アブミの世話にならなくて良かった!」などと、いつもの様に噛みあわない会話を小松の親分と交わしながら・・・休憩を交えながら・・・。隣からは、気合いの入った掛け声がビシビシ聞こえてくる。 快適な2Pを抜け、3Pへ取りかかる。簡単なスラブから、黒くなった傾斜のきついスラブへ・・・ここが核心。とにかくフリクションを信じ、ジワッと立ち込むこと5mぐらい・・・。 お隣は、すでにFYKルートの5.10bを懸垂下降し、いよいよ登り返す体勢である。3Pをフォローした私は、右へトラバースし、覗き込んだ。なんと、川キョン先輩が、あの5.10bのルートをリードしているではないですか・・・。あの高度感での究極のフェース・・・以前の私はアブミに乗りっきりでヒーハー言った所を、完全にフリーで乗り切ったではないですか(@_@)・・・まさに、川キョンがスーパーになった瞬間を見てしまったq(-_-)bad!!今後の位置関係がずいぶん大変だナァ・・・などと思いつつ、先輩の強さを見てしまった!
終了点を向かえ、2004年「水曜登攀隊」の登攀を締めくくった。今年は、小松の親分と12回の登攀が出来た。終始、初見リードにこだわった彼である。本当に強い精神だと思っている。彼の実力が上向く一方で、相変わらずスッタモンダしている水流渓人ではあるのだが、多種多様の武器?を使いながらもなんとかフォロー出来た事は嬉しい。
私は岩登りを始めて、水曜しかない休みに悲観していた。そこに出現してくれたパートナーは、小松の親分であり、川キョンであった。1つ1つの報告を、こうしてHPで公開することで、たくさんの方達と関わりを持たせていただいた。今回、川キョンを指導していただいた鹿川・庵のKYさんも、所属会のnama会長が庵会員となったことで波及した有難いつながりである。今回、KYさんからは、貴重なお話を賜り、今後への大きな意欲につなげる事が出来た。ひたむきなまでの登攀へ対する厳しさは、とても純粋に感じる事が出来た。ますます、比叡山や鉾岳を含める宮崎の岩場への愛着を感じている。
自宅6:40----都農神社7:30----トイレ前駐車場8:50----下部取り付き9:4----FYKルート取り付き10:05----登攀開始10:05----終了13:05----昼食・下山----千駐車場14:30----日向・温泉----自宅着17:30
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