水流渓人「hot-news」

2004年12月8日 「水曜登攀隊/ニードル右ルート敗退す!/比叡1峰」宮崎県
 


   

珍しく、小松の親分が2日前に電話してきた。
「ニードルの右ルートというのがあるけど、面白そうですよ!」
「えっ、誰からも登った報告を受けてないですよ!少し調べちょかんと・・・。」
「まっ、当日の状況判断って事で、ヨロシク!!」
そう、爽やかに・・・あくまでも爽やかに小松の親分は電話で話した。
そして、電話を切った・・・爽やかに・・・。
 
当日の朝、待合場所へ行く手前・・・。起きたての事故に遭遇(>_<)
  
国道の交差点で事故!ホヤホヤの事故!
けが人はいない様だが、縁起悪いと・・・ふ・・・と・・・思ったりした。
  
都農神社でご来光を拝む。冷静が一番!と朝日に祈る。
  

 
 岩に明け暮れた1年である。少ない休みを、ほとんどここの岩へやってきた。12月だから・・・と、そんな事を思うわけではないが、登山へ対するバランスがとれていない?とも思う。しかし、そんな小さなこだわりはどうでもいい。大きなこだわりとして通った比叡の岩場である。
 岩ばかり登っていたら・・・、と思う人は多いと思う。しかし、比叡の岩は計り知れないテーマと経験を与えてくれた。いかに軽量化するか・・・。次の行動を考えての今・・・。休憩の何たるか・・・。安全へ対する配慮・・・。筋力・・・。責任と言う事・・・。準備・・・。強さとは・・・。不安定で、危険極まりない場所だからこそ、感覚は研ぎ澄まされる。神経はビリビリと張り詰める。そんな状況で行動したからこそつかんだものは大きい。通常の尾根歩きでは、見えていなかった事をずいぶん多く学んだ・・・と思った。
 所属する山岳会の会長が、よく怒る。いつも安全に帰還すると言う事は、経験や知識と思っていた。しかし、会長の言葉1つ1つが少しだけ判り始めた今、それだけではない判った。あの頃の私が今、私の前で行動していたら、私は容赦なく怒鳴りつけるだろう・・・。
 厳しさを追求している?そうではない!楽しさを感じたいだけである。落ち葉を踏みしめ歩くのも好きだ。旨いものを担いで登り、景色を楽しみながらの食事も捨てがたい。年間に60日ぐらいしか無い休日である。しかも平日の休日。家族と休みが合えばもちろんそちらを優先する。その少ない日々でなにもかにも欲深く手を出すことは無理であり、私は不器用に生きていたいと思っている。
 何かをする事・・・それは、散歩でもいい、史跡めぐりでもいい、食事でもいい。同様に、今は岩を登っていたいだけ・・・と思っている。
 

比叡神社横を通り、千畳敷へ 千畳敷から取り付きへ向かう「すぐ!」である
   
   
取り付きからは、左岩稜ルートの特徴的な「ダブルフレーク」が見えている。
準備の合間に、気になる小松の親分はハンドジャムを確かめたりしている。
こういう、前向きな姿勢が「水曜登攀隊」を支えている。
水流ちゃんは、座り込んでこうしてカメラで写している(-_^;
   
  
正確か判らないが、たぶんこうだと思う。

    赤ライン・・・ニードル右ルート1P(今回登攀)
    
ピンクライン・・・ニードル右ルートのたぶん2P・3P
        右にトラバースするIV+級であるが、草付が岩ごと無くなっている?
    白ライン・・・ハンガーボルト設置のフリールート?
    
水色ライン・・・ニードル正面壁ルート
    
青ライン・・・ニードル左岩稜ルート
 
  
注意・・・言い訳・・・これを参考にするなかれ・・・信じるは、自分のみである。責任は持てんm(_ _)m

 

   
         【ニードル右ルート】比叡1峰
  *1P/VI級/40m らしい・・・右ルート
     
すべてのハーケン・ピンが腐っている。スラブからきつい傾斜のクラックをつなぐ。
  *2P/IV+級/35m らしい・・右ルート
    草付を右にトラバースのはずが、行けない。敗退
  *3P/IV級/35m らしい・・・右ルート
    ニードルのコルへ抜ける・・・らしい
  *4P/V級/10m (左岩稜ルート)
  *5P/VI級/25m (左岩稜ルート)   
  *6P/V級/40m (左岩稜ルート)  
 
               ・・・と、予定では登るはずだったが

 

ニードル左岩稜の取り付きと同地点。名の如く右を登る・・・
  

 小松の親分は登り始めた。いつもの様に・・・。だが、状況は違っていた。「どのピンも腐っていて、支点にならない!」と叫んだ。フレンズをセットしながら、見えているピンはすべて省いた。ナッツで支点を強化する。そして、動きがハング下で止まった。止まったのはルートを確認しているからではない。今回は、落ちてはただでは済まない状況にいる事を判断したからだ。どうする?ピンは無い。何度か「降りようか・・・止めとくわ!」と言った。右のクラックへ乗り移ろうにも、何も有効なホールドやスタンスが無い。何度かムーブを確認している間に、腕がパンプしてしまった。「レスト!」と叫ぶが、ロープを張るにも、支点がマイクロフレンズである。

  

ついに、クラックに立った・・・フレンズにかけたスリングにだ。エグイ事この上ない
   

 意を決してクラックにフレンズをセットした。スリングをぶら下げて、それに立とうと何回か試みた。落ちれば、命を預けるのは左のヌンチャクに通してあるマイクロフレンズと、ナッツである。立った。1本のフレンズにすべてを預けて・・・。立ってどうする・・・次が無い。さらにフレンズをセットする。上のフレンズに更に乗る。ようやく左ノフィンガークラックが有効になり、大きめのポケットに立てた。レスト・・・。しばしレスト。

   

なんとか切り抜け、しばしレスト・・・ただ上には錆びたリングボルトが続くだけ・・・
  

  
 90分を費やして、小松の親分はとうとう終了点を捉えた。姿が見えなくなって、ロープだけで相手を感じている。それを通し、かつて開かれた頃の「ニードル・右ルート」に思いを馳せる。しばらくして、「登って来い!」の声が聞こえた。
 腐ったハーケンを見ながら・・・・・、小松の親分のセットしたフレンズとナッツを回収しながら・・・・・、開拓された頃と、今日の厳しい登攀を同時に感じる事となる。ハング下で、私も左手が力を無くす頃、ようやく右のクラックにセットしてあるフレンズにアブミをかけてぶら下った。3本セットされたフレンズを回収しながら、アブミに乗った右足が、恐怖と限界で震えてきた。なんとか、左指・左腕の回復を待ち、スタンスはスメアのまま、上のリングボルトを捉える事が出来た。リングはさび付いて動かなくなっていた。そのまま立ちこみ、リングボルトにぶら下る。なんとか、ビレー点にたどり着いたときには、顔を見合わせ「いままでの水曜登攀隊史上、一番厳しい登攀だった。」と、お互いが言った。それなりの満足感にも浸りつつ・・・。
 

途中、レストしながら下を見た こんなハーケンに支点は取れない。
左下方に左岩稜の2P、フレークが見える ん?あのフレークにボルト?(-_-メ)
    
 
 
直上している正面壁ルートを見上げる。ハーケンのA1だ!
     
2P・・・だと思い取り付く 25m地点で平行ピン・・・その上ナシ

 
 2Pは、手持ちのルート図で行くと右へ草付をトラバースすると、凹角を直上するIV+級である。だが右の草付は、途中で岩と共に剥がれ落ちている様に見える。その目線の先には、なんと丈夫なハンガーボルトが打たれていた。安易に、そこがルート!と思い取り付くも、結構難しい・・・5.11?あるぞ!と、小松の親分が苦戦している。ビレー位置からはカンテ状に見える所を進むと姿が消えた。しばらくして、平行ピンが突然出現したらしい。フリールートみたいだといいつつ、ここで小松の親分の緊張が切れてしまった。1Pの凄まじい登りの後にこれである。支点にカラビナ残置で、ロープダウンで降りた。
 2人、「敗退・・・。」と口にした。緊張が切れると、向かおうという意識が薄れる。ルートを探そうという気持も薄れる。上への意欲も無くなる。とうとう、こんな日もある!と言い切ってしまった。
 再度、下降完了するまでは・・・と、気持を入れ替え支点のスリングを強化した。さらに残置カラビナをセットし懸垂下降で降りた。やはり、カラビナをセットしておかなければ、ロープ回収に再度登り返す余力は無い。慎重にセットした。
 私達にしてみれば、きつい冒険であった。真のアルパインクライミングをチョっと垣間見、震え上がったのが実情だ。それを超越して、先人のクライマー達は、限界のスタンスに立ちながらハーケンをボルトを打ち込んだに違いない。強靭な精神力を、真似するには私は弱すぎる。そして、整備されたルートの快適さに深く感謝した。
    


慎重に懸垂下降する。敗退の下降は、気分的に恐ろしい。

  
 ニードル右ルート・・・知り得る方がいるのなら、その開拓の背景を聞きたいと思っている。あるいは、しっかりとしたRCCボルトを打ち直したら、どれだけ素晴らしいルートになるだろう・・・と思った。たくさん課題と、実力の限界を教えてくれたルート゛あった。再挑戦する気持になるまでは、私達はいったい何をしたらいいのだろう・・・。
 足しげくこれからも比叡の岩にお世話になればいいのだろうか・・・。ただ、今回私に見えたものは、やはり先人の思いをたどるように「クラッシックルート」のルーツを探る「旅?」「登攀?」・・・いや、やはり「旅」を続けたいと言う事。格好つけすぎ?(^^;)

  

やはり不満足そうにしている・・・(-o-;)
  

朝、都農神社で見た日の出だが、日向・お舟出の湯で沈む夕日を見た。

 小松の親分は、風呂上りに「疲労感はあるのに、気持は不完全燃焼・・・。充実感がしない・・・。」と言った。もう、更なる初見ルートへの旅への思いが、彼の中にはメラメラと燃え始めているみたいだ。私には、疲労感と充実感は重いほどあるのに・・・と、違いを感じる。見えている所、実力、そして、練習量が違う。少しでも充実させる為に、夜、県体育館の人工壁へ向かったそうだ。
 

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自宅6:30----都農神社7:10----トイレ前駐車場8:40----アプローチ開始8:55----ニードル取り付き9:10----登攀開始9:55----1P終了11:40----2Pへアタック12:05----敗退決定懸垂下降13:40----昼食・下山----千畳敷14:30----駐車場14:40----日向・温泉----自宅着17:40

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