水流渓人「hot-news」

2004年11月23日 「nama会長のロープを引く・・・感動!/比叡1峰」宮崎県
 


 

 
 namaさんは、私の所属する『西都山岳会』の会長だ!私が大阪からUターンして以来だから、14年の付き合いになる。我家の子供達も、物心ついた頃から親しんでいるので、親戚みたいなものだ。いや、それ以上だと思う。公私共に、ほぼ毎日見ている顔だが、案外飽きる事は無い(^o^;)。
 namaさんは、仕事も熱血漢だが、寂しがりやでもある。ずうずうしくも見えるが、ずいぶん気を使う男でもある。2人の息子がいて、3人の孫がいる。世間的にはおじいちゃんだが、山への情熱は強く深く厳しい。山への思いを聞く時、あまりにも強い姿勢に圧倒される。すべて素直に同意出来るものでもないが、私はそれが好きで彼の近くにいる。山行中のリーダーとしての資質・判断は素晴らしい。独断?強引?・・・、それでいい。それが、彼の経験であり強さであり、仲間を思う気持ちなのである。それを理解できて受け入れられる人が、彼の近くにいれば良い。私はそれでいい。
 namaさんの会にお世話になり、14年になる。でも、私は7年前ぐらいから山歩きを始めた様なもので、以前の7年間は、宴会のみ参加だった。それでも近くに置いていてくれた。家族で山を歩くようになった。少し歩けるようになり、3年前に岩登りを体験させてくれた。
 namaさんは、今年はついていない。年始に、北海道へ遠征しバックカトリー・スノーボード・・・・・、滑走中に板が木に挟まり足を骨折した。ゲレンデを滑っている訳でなく、山中を滑り降りているのである。しかも、スノボはメチャメチャ上手なのだ。そして、1ヶ月少しで岩に復帰した。精神力たるや、並では無い。
 namaさんは、去年にカナダ「バガブー山」で、強靭なクライミングをした。今年、大きな目標があった。中国の未踏峰への挑戦である。登攀リーダーとして、今まで以上のきつい登攀を練習として行っていた。夏、高度に慣れる為、会の女性会員3人を連れ『北岳ピラミッドフェース』・・・。まさかの滑落。テラスへ叩きつけられ、ヘリで救助された。原因は確定的ではないが、前夜飲んだ薬・・・眠る為の薬に含まれていた「ハルシオン」ではないかと思われる。薬と高度の関係が左右したのか判らないが、namaさんの技術での滑落は考えられない。実際、落ちる瞬間の記憶が本人にまったく無く。同行していた者達も、状況が把握出来ず一瞬だったそうだ。nama会長は、会報で詳細に報告をしてくれたが、『薬の作用』以外には考えられない。滑落の2日後、右肩の脱臼・骨折、頬の骨折、肺に傷を負ったまま、松本の病院から電車で自力で戻ってきた。迎えに行った高鍋駅のホームで、ケガはしているが、隣を歩いているnamaさんを見てどれほど安堵した事だろう・・・。
 あれから4ヶ月が過ぎた。中国への遠征は、当然見送る事になった。それでも、きっとnamaさんにはくやし涙であった事に違いない。不屈の闘志で、1ヶ月少しで比叡の岩を登った。2ヶ月少し目には韓国の岩を登った。大崩山の中央稜を登った。
 右肩の治療が上手く行っていない事が判った。しばらく、クライミングを休止すると報告があった。やはり、namaさんの登攀は当然リードする事である。あの事故から、岩をいくつか登ったが、人のフォローで登っている。フォローする事がnamaさんの岩ではない。ようやくリハビリに専念する気持になったのだろう・・・。・・・と、皆がそう思っていた。
 


六峰街道方面の山々が、よく見えている。

  
 「23日は、比叡に行くっちゃが・・・。」
確かに、namaさんは私にそう言った。その日、娘たちの参観日でもあったが、私も会社が休みであった。ママに、namaさんと比叡に行きたいと打ち明けると、『行って来たら・・・』と言ってくれた。
「23日は、俺も行くわぁ・・・。他には誰が行くと?」
「いや、誰にも声かけちょらん。朝、迎えに行くわ!」
と決まった。2人で行くとは、嬉しい事この上ない。と同時に、緊張もこの上ない。リハビリと言いながらも、4級程度のルートで許してもらえるはずも無い事は明白だ。
 当日が来て、比叡の駐車場へ立っていた。namaさんは、この世界では顔が広い。知り合いと話している。
「ん?、適当なルートで行って来ますわ!」
「えっ?適当?すごいですね!」
なんて会話が、近くから聞こえていた。
 と言う事で、【奥の細道】の1P・・・6級の取り付きで、ロープを結び合った。
「どんげすっや?」
そう聞かれて、
「先に行かせてもらいます。」
その返事しかあるはずがないと思っていた。namaさんが、ニヤッと笑ってくれた。私は落ちても行くぞ!と、力が入り恐怖心は吹っ飛んでいた。
 

 
 
1P/6級核心をフォロー?仕事の電話をしているnamaさん。

 
 私は、またしてもフリーでは登れず、A0になってしまう。でも、下を見たとき、登った分の高度と、引かれたザイルのしなりが軌跡なって、namaさんのハーネスにつながっていた。感無量である。そんな日がいつになったらやって来るのか、私はいつも夢に見ていた。技術はとうてい及ばない事はわかっているが、慕う師匠の胸を借り、私が師匠のリードを引く事・・・。遠い夢に思えていた。
 フォローし上がって来ると、「次、行くわ!」と2Pへnamaさんは取り付いた。4ヶ月ぶりのリードだと話してくれた。右手に力が入らないのに、グイグイとリードして行く。

 
 
 奥の細道、2Pをリードするnamaさん 
 

 たくさんの夢を語りながら、このルートをnamaさんは登ってくれた。妙に人に勇気とやる気を起させる不思議な男である。いままで、たくさんの後輩を育ててきた。面倒見の良さは恐れ入るほどであるが、クライミングに関しては特に厳しい。その訳も良く判る。
 namaさんは、山への思いを語るとき、強い口調で限界への挑戦を語る。恐ろしいまでに、修羅場をくぐった岳人の姿勢である。足元にも及ばない事を悟る。
そして、また
「次、お前が行くや?」
と、リードを促す。間髪入れずに引き受けると、嬉しい顔をする。

奥の細道からナックルスラブへ・・・。水流ちゃんリードす!
  

 終了点で確保体勢に入った私は、namaさんに向かって
「登ってよし!」
と、大声でコールした。フォローしてきたnamaさんを迎えて、握手をした。早く、リハビリから、いつもの強気のクライミングへ復帰して欲しいと願った。右腕をしげしげと眺めながら、
「ほら、ここまでしか上がらんとよ!」
本当に悔しそうにポツリと言った。でも、次の目標をとめどなく語り始めた。まだ、しばらくは彼について行こうと思った。
 

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