2004年4月6日 「次女の小学校卒業記念クライミング/比叡TAカンテルート」宮崎県
「夢」・・・それは、家族6人で比叡のルートを登ってみたい!しかし、そのために準備することはたくさんありすぎて、本当は無理なのかもしれない。思い出せば、1996年に初めて「家族登山」をした山が、「丹助岳」であった。山頂からため息混じりに眺めた景色に、このところ通いつめている「比叡山」は見えていた。その頃、クライミングをする事など夢にも思わなかった事が、今は現実となっている。「やる前から諦めない事・・・。」「少しでも可能性があれば不可能ではないという事・・・。」そんな気持にさせてくれたのは、家族全員で作り上げてきたもの・・・、ともに歩いてきたもの・・・、自然に感じるようになったものだと思っている。 ママが私のクライミングに付き合ってくれた事(1回目・2回目・3回目・4回目)で、1歩前進した。 そして今日2歩前進した。ちょっとだが、練習(比叡・権現・自宅)をしてくれた次女が比叡のルートへ挑戦する事になった。比叡の中でも入門的なルートとなっている「TAカンテ」ルートであるが、5ピッチ/200mの本チャンのマルチルートである。
実に軽快なリズムで、ホールドやスタンスを拾う。身のこなし、バランス、ひねり、そして果敢に挑戦的にルートを探る姿勢・・・。子供の柔軟さには目を見張るものがある。そりに引き換え、本日5回目クライミングのママ・・・、次女の3倍の時間をかけて上がって来た。でも、それでいい。彼女のビレイ無くして、今日のクライミングは果たし得ないのだから・・・。父、母、娘・・・、その状態にどう形容していいのか・・・思い当たる言葉は無い。
4月6日 火曜日 「岩登り」
今日は、父がとても楽しみにしていた日。私と母、そして、父と「岩登り」に行く日だ。 父は、私の入学祝いに連れて行ってくれるらしいが、私は、「入学前に死にたくない!」と思っていた。何しろ、私は、岩登りは、頂上までず〜っと休まず登って、手を離したら最後だと思っていたからだ。 しかし、実際に登ってみると、難しいところは、あまり無く、頂上まで5箇所に分かれていた。私は、荷物もなく、父と母の真ん中だったのでただ登るだけだったが、父は、大きい荷物もあるし、最初だったので私と母のロープまで持ち上げねばならなかった。母は、最初に父をびれいしたり、荷物があったので私より大変だった。けれども、一行は、無事に、頂上までたどり着き、3時に昼ごはんを食べ、下山した。 こうして、心配していた「岩登り」は、けがをすることも無くおわり安心した。私は、とても幸せだと思った。こんな体験をいっぱいさせてくれるお父さんは、他にはいないと思った。
以上、次女が書いた原文そのまま・・・
7:40自宅発----10:15駐車場到着----10:40入山----11:00下部取り付き----11:55TAカンテ取り付き13:35 1ピッチ終了----13:59 3ピッチ終了----15:10 5ピッチ終了----昼食----16:50下山--------19:10自宅着
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