2004年3月9日 「ママちゃんとクライミング比叡Vol.4/とうとう第一スラブ」宮崎県
「行きたくて行っているんじゃないけど・・・(^o^;)」と、前置きしてママのクライミングの話は始まる。修学旅行に出発する長女を、宮崎空港に送り届け帰宅。他3人の小学生達を登校させると、朝食を食べ、洗濯物を干してイザ出発。4人子持ち家庭の朝はあわただしい(^^;)・・・プラス・・・比叡でクライミングである。夕食までには帰宅していなければいけない段取りだ。(@_@) 「いよいよ1スラやなぁ・・・。」と言う私に、不安げにしていたかと思うと、もう助手席で居眠りしていた。自分自身、どうしてクライミングなのか判らない。判らないから、また今週もやってきてしまった。
『第1スラブ』・・・なんとも魅力的な響きである。1961年に比叡に初めて開拓され、今年で44年となる。なんとママの生まれた頃に出来たルートを、こうして夫婦で登るとは(◎_◎)・・・。自分も怖いくせに、平気なふりして2PのV-をリードした。ママが登れるか不安もあったが、多少引っ張ったもののテラスへ這い上がってきた。 ママのロープ操作はストレスを感じない程、上手になってきている。滑落を停止出来るか確かめた事は無いが、納得は出来るフォローである。 千畳敷に、平日珍しく観光客が立っている。登る私達を見上げて驚いていた。見下ろす私の方が、平日にあんなところに人がいて驚いていた。
亀の甲スラブが、ママの最大難所であった。クラックからバンドに移る所が上手くいかず、両腕でバンドの出っ張りを抱え込んだまま、体は下にぶら下がったままになったそうだ。上からは確認できないので、声だけで状況を想像していた。バンドから右にプロテクションがとってあるので、引っ張りすぎると振られる事になるの判っていた。しばし、気持を落着けて左足をかけ体をバンドにずり上げ、半身がバンドに横たわった形で乗っていたそうだ。じりじりとずりあげ、全身が乗った時には力尽きていた。立ち上がると手足が震え、しばしロープは停止したままだった。何度も声をかける。落ち着きを取り戻し、右端から亀の甲スラブへ乗り移った。ほとんど使い果たした腕の力のおかげか、スラブを足のフリクションで上手に登りあがってくる彼女が姿を見せた。落着いた笑顔を見て、もっと落着いたのは私だ。 「いい登りになって来たなぁ・・・。」と声をかける。
いろんな葛藤があった。クライミングとは、「自問自答の空間」なのかも知れない。「怖さ」を克服しながら、自分を考える。相手を思いやる。ロープの動きに相手の命を感じる・・・と行っても過言ではない様な気がする。たくさん考えた。夫婦で登っていて、滑落すれば4人の子供はどうなる?こんなことが本当に楽しいのか?私の思い込みだけで付き合わされるママの気持はどんなだろう?ママのハーネスに結んだロープは確かだったか? そして、彼女が終了点に這い上がった瞬間、すべてのものが「感謝」に変わる。自己満足であることは判っている。取り付きから始まった、4時間半もの第一スラブは、深い意義のある「旅」であった。しかも、確かに体で感じた充実感であった。クライミングの満足は・・???と、少し考えたりもしたが、私の求める本当のクライミングが、おぼろげなから形に成りつつある。
7:50自宅発----10:05駐車場到着----10:40登攀開始----12:25亀の甲前のテラス----13:18亀の甲終了----15:06登攀終了----昼食----15:40下山開始----16:40下山--------17:10自宅着
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