2004年2月18日 「ママと比叡山クライミング第2段」宮崎県
去年の10月1日に「ママちゃん43号」として、初クライミングを比叡のTAカンテで迎えた。そして、続く第二段「ママちゃん44号・ひえいで叫ぶ」である。 私にとっても、今年最初の比叡クライミングである。誰か一緒に行く人いないかなぁ・・・と、各方面にお誘いを入れてみるものの、とこごとく断られ、恐る恐るおうかがいをしてみた「ママちゃん44号」から・・・「登らないかも知れない!」との条件付で当日の計画が決定した。
今年のママは、正月明けから椎間板ヘルニアが悪化するみたいな兆候があった。そして中旬に、坐骨神経痛のひどい症状が出て立てなくなったりした。しばらくの通院と投薬で、少しは回復をしていたが少し手足がしびれたりもしていた。どこにも行かない休みより、やはり私達は自然の中へと足が向く。先週に軽いトレッキングをした。そして、何度も「ダメかも知れない・・。」と言いながらついてきた。 2004年の幕開けは、「ママと第一スラブから・・・」などと思ったりもしたが、しばしグッと我慢で「3KNスラブ」へ向かった。前回のTAカンテと同様、比叡の入門ルートであるが、広大なスラブをグイグイ登れる楽しいルートでもある。まずは、下部IV級の練習ピッチでママの体調を確かめた。
ここへ来て、汗がでるほど気温が上昇した。ほとんど風もなく、20度を越してきた。下部の練習ピッチで辛そうだったママも、少し元気な顔をしてきた。思い切り引っ張り上げれば・・・、怪我なく終了点にたどり着ければ、登攀の内容は問題ではないと思い私はリードで登り始めた。 一応、このルートの核心のIV+だが3本のプロテクションをとり、松の木へ抜ける。フォローで攀じり始めたママは、休み休み息を整えながら上がって来た。私は、思い切りロープを張った。「いいよ・・・登れば。」「うん、ピンも摑んだし、踏んだし、でもこだわりはないし・・・。」「上まで抜けよう。」
「大丈夫、大丈夫。」 「怖くない、怖くない。」 「ここを握って、ここに足を置いて、それからこっちを握って・・・。」 「いくよぉー、せぇーのぉー!」 と、ぶつぶつ言いながら、息をはずませてはピッチ毎に水分補給をしていた。本当は、スラブは怖くて仕方ない表情である。 「怖いやろ?」 「ここまで来たら、上まで行かなしゃぁないやろ!」 「安全に登って、無事帰ってこそ価値があるからな!!」
標柱の立つ展望所で手作りの弁当を食べる。山の中で、自宅のリビングにいるみたいに和やかな気持ちに包まれていた。なんなんだろ・・・、厳しい登攀とは異質の深い満足を感じている。
7:30自宅発----10:30入山----11:203KN取り付き----14:50登攀終了----昼食----15:20下山開始----16:20下山----18:30自宅着
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