2003年12月23日 「韓国岳〜大浪池避難小屋〜えびの高原」宮崎県
12月19日の寒波で、九州の山々も白く覆われた。23日の天皇誕生日、家族でどこか行きたいと思っていたが、ママと長女と次女に都合があったので、家の用事でもしようか・・・と思っていたら、「男だけでどこか行ってきたら・・・、喜ぶでぇ!」と、ママから提案を受ける。それを後押しするかのように「雪」が降った。 山のライブカメラで霧島の模様を確認していたら、19日に降った雪も次第に減ってきていた。雪へ期待を胸一杯にした長男と次男・・・、そして次女に持って帰る雪のお土産を求めて出発した。
えびの高原バスターミナルの駐車場(410円)に車を止め、身支度を整える。5合目付近からスッポリ雲に覆われた韓国岳を眺めながら、子供達にも1枚多く衣類をリュックに詰め込む。コースは、「韓国岳ピストン」か「韓国岳〜大浪池方面〜非難小屋〜えびの高原」(今年2月、ママと歩いたコース)を、状況により判断する事にしている。
案の定、登山口から見上げた通り5合目から視界が無くなった。風が強く、時折青空がのぞき視界が広がる。祝日の韓国岳は、すれ違う人も多い。てこてこ歩く次男のペースが、我が家のペースである。3合目で追いついてきたグループのリーダーが、同行者の方達にアドバイスしている声が聞こえた。 「あんたらは、歩くペースが悪すぎる。前半で早すぎて、あれだけ息を上げては立ち止まっていたら駄目・・・。きっと、あの子に山頂まで追いつかないはず・・・。」 そういう視線は、次男に向いていた。先発した私達を、そのグループは4合目手前で追い抜いていった。しかし、5合目で休憩している傍らを、私達があくまでもてこてこと通り過ぎていった。早いペースでは決して無い。雪をいじりながら・・・、話をしながら・・・、それでも立ち止まることなくゆっくりと・・・。
そして、そのグループは、山頂まで追いついてくる事は無かった。ゆっくりと歩いたはずの私達は、標準タイムより10分早く山頂に到着していた。それから25分後に、そのグループは到着し、吹きっさらしの山頂で風に吹かれながら弁当を食べ始めた。 昼食は山頂でなく、大浪池方面へ降りて非難小屋で食べる事を子供に告げる。岩陰に体を寄せ風を避けている長男と次男。空腹なので行動食に菓子パンをかじっている。一瞬、雲が通り過ぎ雲海に浮かぶ『高千穂峰』が要塞のごとく目の前に広がった。思わずの出来事に、シャッターを切る暇もなかった。子供達が、「うわぁ〜、すげぇ〜!」と歓声を上げた。20分粘ってみたが、再び姿を現す事はなかった。冷えてくる体を思い、下山を告げる。 大浪池への下山は、整備された木の階段だ。登山者による登山道の侵食は深刻で、理解に値する整備である。所々、ぬかるんだ登山道に足をとられながら、高度を下げていく・・・。
リュックにテントマットとツエルト、非常用具に非常食、3Lの水を詰めてきた。ママが男だけで送り出してくれた時、長男と次男は喜ぶだろうと言ってくれた。男同士、そんなに喋る事が無いのに気づく。長男はあくまでも弟に厳しく、次男は兄に負けまいと張り切る。弟の一挙一動を注意し、兄貴風を吹かせる長男に、弟は黙って自分のお菓子を渡していた。一人っ子育ちの私には、まるで判らない兄弟の呼吸・・・。無関心なように見えて、厳しく無愛想に見えて、本当は空気でお互いを感じる事が出来るのかも知れない。
避難小屋から出ると、韓国岳の山頂が姿を現していた。
家で待つママや姉達に雪を持って帰る。帰宅すると、早速庭で雪合戦が始まった。小さい雪だるまを作って、玄関先に飾っていた。 「お父さん、ボク達はなんていう山を登ったっけ?」 「韓国岳っていう山やが!」 「ふぅーん。ボクのいくつ目の山になるっつね?」 「55回目の山になるね・・・。お兄ちゃんは72回目の山になる。」 「ふぅ〜〜ん。」
7:30自宅発----9:30生駒高原----10:10えびの高原駐車場----10:30登山開始---10:50硫黄山登山口----11:35合目----12:10韓国岳山頂----小休憩-----12:30下山開始------13:30避難小屋----昼食----14:25非難小屋発----15:50えびの高原バスターミナル----18:05自宅着
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