2002年12月23日 熊本市「熊本城」

 
 

  
 子供達にも都合がある。クリスマス会やら何やら・・・、そんなこと話していたら、今回は家族登山というムードでもない。登山でないなら、オフロードも眼中にない。行楽なら高速道路!・・・単純な結びつけで、日帰り旅行気分の『熊本』だなぁ・・・。熊本なら『城』となった。
 自宅を8時頃に出発し、小林インターまで一般道を走る。霧島山へのいつも通る道路である。それにしても、今日はポカポカ温かい。えびのを過ぎ、人吉〜八代まではトンネルだらけの退屈な風景である。子供達は、対向車を見ては色当てゲーム、トンネルが始まると抜けるのに何秒かかるかゲーム。遊びは尽きない。自宅で詰め込んだ朝食弁当を、パーキングでパクついた。

 

宮崎にはない路面電車、しかも2両編成。
 
2の丸駐車場からいざ!素晴らしい公園が隣接し、市民の憩いの場となっている。
 

 入場門で、鎧姿の人と記念撮影!少し恐いのか離れ気味の子供達。大人500円・小人200円

  
〜「城」〜ここで、城の代表選手を紹介ヽ(^0^)
 
  ●国宝の城・・・姫路城(世界文化遺産)/彦根城/犬山城/松本城
 
  ●日本三大名城・・・熊本城/大阪城/名古屋城

 
■熊本城の概容■
 日本三大名城の一つ熊本城は別名銀杏城とも呼ばれ名将加藤清正によって、慶長6年(1601年)に着工され、7年の歳月をかけ築城されました。城郭の広さは約98万u、周囲約5.3q、そのなかに大小天守、櫓49、櫓門18、城内29を持つ豪壮雄大な構えで、美しい曲線で築かれた石垣や自然の地形を高度に利用した独特な築城技術が生かされています。
 熊本城は豊臣秀吉の九州統一により、その家臣加藤清正が熊本統治の拠点として築城したもので、城下町の整備や優れた治山、治水、産業の振興など、今日の熊本の基礎を築きました。しかし、加藤家の治世は徳川氏の忌避にふれ2代44年しか続きませんでした。その後豊前小倉城より細川忠利が封ぜられ、明治4(1871)年まで11代239年の間細川家の居城として続きました。
 明治10(1877)年西南の役に際しては、西郷隆盛率いる薩摩軍を相手に50余日も籠城し、難勢不落の城として真価を発揮しましたが、惜しいことに薩摩軍の攻撃の前々日に大小天守閣など本丸中心部のほとんどの建物が焼失し、宇土櫓ほか12棟が残り国の重要文化財となっています。
(料金所でもらったパンフレットより)
 


熊本城のホームページ→

築城の際、怪力横手の五郎が首に掛けて運んだと伝えられる『首掛石』
 
井戸・・・籠城に備え約120の井戸が掘られていたが、深いもので40bもある。現在17ヶ所残っている。
 
 


熊本城をバックに集合写真
 


入場口
 
城下町の模型を見入る。 今の神経衰弱やね!『貝合せ』
    


天守閣から、熊本市内と阿蘇・・・霞んで山々がはっきりしなくて残念!
 


晴れてきたよぉ〜
 


記念コインに群がる子供達・・・と言っても我が子だけだが・・・・
 

■宇土櫓■重要文化財
 第三の天守とも云われ、三層五階、入母屋屋根を二段に重ね、最上階の望楼は高欄になっていて、たるみのない屋根、直線的な破風など大小天守閣とはまったく異なった風格をもっています。(料金所でもらったパンフレットより)


美術館も隣接している。
 

 土日に休めないので、祭日である天皇誕生日が1年最後の「家族行動日」となる。今年も全員で何か出来て良かった。それは、自宅で過ごす1日でも良かった。毎年、子供達は「成長」という素晴らしいプレゼントを私に与えて子くれる。ささいな態度・言葉・・・、いつまでも感じ取れる親でありたい。

 

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