2002年11月23日 「大崩山/小積ダキ中央稜」上部登攀

 強い憧れがあった「大崩山」の「小積ダキ・中央稜ルート」である。登り終えての感想であるが、そのスケールには正直ビビッてしまった。登りながら何度も、どうしてこんな所に、連れて行って欲しいなんて・・・勘違いも甚だしい!と思ったことだろう。早く終わらないかな?と、ずっと考えていた。
 登りながら嬉しそうにしているNAMAさんを、『この男!』いったい何を考えているんやろ!NAMAさんに指示されて、リードで登る川キョンを、『この女!』何者なんやろ!と思った。「ここからが楽しいっちゃが!」と言われても、『この男!』『この女!』と思うばかり・・・・

1,【いきさつ】
「一回、岩登りもやってみてぇっちゃが・・・!」
「え?あんたがや?」
「そうよぉ・・・。」
と言うことで、私の所属する西都山岳会の会長であるNAMAさんに言ったのは、去年の秋頃だったと思う。大体、休みが合わないので、私が意を決して会社に休みを申請したら、チャンスはいくらでもあったのかも知れない。でも、そこまでする事もなく今年の春が来た。特に、山での自分の実力以上の山行に参加させてもらうには、アピールと思い切りと信頼感が必要であると思う。岩登りに関しては、お遊び程度の知識と経験しかない私には、
「本当に行くや?」
と聞かれても、
「やってみらんと判らん!」
としか答えようがなかった。
 岩登りは、皆、「練習」や「仲間」や「先輩」に恵まれないと、なかなか経験できるものではないと思う。まして、その人の性格や緊急事態になった時のパニックを想定しなければならいとも思う。やはり、連れて行って貰うにしても、連れて行く側の安全や自信がある上での話である。

 そして、5月。わざわざ会長は、自分の仕事の日に時間を開け、私の休みに合わせてくれた。ドキドキしながら、ワクワクしながら当日の朝を迎えた。そして、比叡の1スラに私を引っ張り上げてくれた。思えば、始めての事づくしの岩登りである。聞くこと、やることすべてその場でやってのけなくてはならない。その時は、登攀終了後になんだか自信めいたものが自分の中に印象として残ったが、今考えてみれば、NAMAさんはフリーソロで登る状態であったはずだ、登れる自信があるからこそ、初心者の私が登り切れた『結果』だと判った。私の岩登りのスタートは、そんな相手を危険にさらしての事だったような気がする。しかし、そうさせて貰えたのも私への信頼だと感謝している。
 そして、それから10日もしない間に、私はクライミングギアを揃えてしまったのである。毎夜、道具を手にしてはイメージを膨らませていた。
 私の岩登りは、非力ながらも仲間内に波紋を広げていく結果となった。会で同じ事務局をしている川キョンからも声をかけてもらった。今まで、たまに休みが合うと近場の山行につき合ってくれていたが、岩も10年近い経験になる彼女からの誘いも嬉しかった。そして、その計画を容認してくれた会長の気持ちも有難かった。立て続けに3回、比叡の岩へ通ったのである。
 そして、5回目に声をかけてくれたのが、やはり大先輩の宮崎岳朋会を率いるINAさんである。そこで、思っても見なかった「鉾岳」のスラブ登りが経験できたのである。
 岩登りの事が、少し、ほんの少し見え始めた瞬間でもあり、怖さも増してきた時期でもある。人は上達と欲を「過信」する構造なのだろうか?私は完全にそういう構造なのだと思う。「登らせてもらう」のが実力であり、リードする・トップで登る・・・は、「過信」の何者でもないことを思い知らされる山行がやってきた。長崎の労山の仲間達との比叡のクライミングメンバーに、会長からも声をかけてもらい、いい気分になっていたことは言うまでもない。オーダー決めの前夜
「水流さん、トップで行くや?」
「はい。」
と言う愚かな返事をした私である。ステップアップとしてとらえてみれば、良い経験なのかも知れない。比叡1スラ・スパーのトップを引き、最終1つ手前の核心のピッチでフォールしたのである。沢山の反省材料があった。「甘さ」と「経験不足」をたたきつけられた日でもあった。あの時、自分の状態をなんとか我慢出来たのも、彼から教わった私の少ない強さの一部だったのかも知れない。何とか登り切り下山した。結果、背中側の肋骨を骨折していた。
 大崩山・・・、小積ダキ・・・、中央稜。何度も目にした景観と、岩登りの目標の大きなものを意識していた。経験の少ない私が登る唯一の方法は、NAMA会長に連れて行って貰う以外には無い。フォールする前に、有頂天になって懇願していた「中央稜」が、現実のものとなり日程が決まった。11月23日、オーダーはLNAMA、川キョン、私・・・。背中の骨折は、自分の意識の中では「なんともない事」「その日までには治る事」の中に封印した。
 その間、大崩山の登山を始め、3回も山行を続けていた。悲惨な歩きであったことは言うまでもないが、この日に備えて何かをしていなければ、その恐怖感と頼み込んだ自分への情けなさに押しつぶされそうになっていた。
「行くや?」
と聞かれる度、
「行く!」
と答えていた。アピールと努力とチャンスが上手くかみ合わなければ、なしえない素晴らしい山行であることは歴然としていた。

 

朝日を浴びた大崩山が迎えてくれる。
 

2,【数日前〜出発の朝】
 いよいよ、23日が近づいてきた。20日、練習のために近くの山に登った。少し重めのリュックはその夜、折れた背中をかばおうと働いた腰や背筋に負担をかけていた。自信のなさは、限りない「逃げの口実」を見つけようと思考を働かせる。 
 天気予報を見ながら「雨」マークを見ては、ホッとしたり・・・、先送りになって不安を継続するぐらいなら今回にやり遂げて置いた方がイイ!などと、まったく足が地に着かない毎日である。今回ばかりは、心許せる友以外には「大崩・中央稜へ行く!」などと言葉にも出来なかった。
 そして、前夜
「明日は、雨も降らんみたいやし、NAMAさん所に5時集合でいいやぁ!」
と、嬉しそうな川キョンの電話を聞く。
「えー、明日は雨やっちゃねー?」
と、思わず後ろ向きな事を言ってしまうが、いつものNAMAさんの言葉・・・
『雨なら中止、降るか降らないか疑わしい時は、とりあえず行って決める。でも、俺が行くと必ず晴れる!』
を思い出し、少しゾォーっとしながら覚悟を決めた。そして、道具を準備しながら自分に・・・『嫌なことでなく、楽しいことの準備!』と何度も言い聞かせていた。
 朝、4時半に目覚ましが鳴る。今日は、めずらしく女房の弁当を断っていたので、私だけ寝室から抜け出す。ふと、背後から
「あんたは、NAMAさんにロープでビレイされてるかも知らんけど、あんたにも家族5人がぶら下がってるんやで!しっかり、気をつけて行っといでやぁ!」
と、なんとも重い送り出しの言葉を受ける。思わず、今日はNAMAさんに15o2本を引っ張って貰おうかと思ったりもした。

 

林道終点にて準備

見返りの塔でルート確認
     

3,【登山口〜取り付き地点】
 西都5時10分出発、当然後輩格の私が、ハンドルを握る。眠そうにウトウトしながらも眠れないNAMAさんが、後部座席で豪快に寝る川キョンを何度も起こしていた。そう言う内に、延岡のコンビニ到着。食料を仕入れ、祝子川沿いに登山口を目指す。今回は、一度坊主尾根を登って、そこから坊主谷を下って取り付き位置の「中央ベランダ」を目指す。
 7時42分、登山口で支度を整え、林道を歩き始める。坊主尾根までは、快適なコース・・・ペースが上がる。途中、真っ青な青空が出迎えてくれた。大崩山特有の白い岩肌が眩しい。川を渡り、坊主尾根との分岐を迎えた。ここから、急登+ハシゴが始まる。先頭を歩き、ペースを上げすぎた私は早くもバテバテ・・・、NAMAさんから
「歩くペースが悪すぎるからやが!」
と、注意される。以降、ゆっくりとした二人のペースにも着いて行けずに、休憩連続となる。見返りの塔まで来ると、なんとか息と体が馴染んできた。やはり、自己コントロールが悪く、舞い上がっているのが手に取るように判る。


坊主谷を下る

中央ベランダへ

 
 象岩のトラバースを迎えると、ますます小積ダキがフルスケールで迫ってくる。毎度圧倒されるこの景観も、今日は高見の見物の気持ちにはなれない。何度も『楽しまなきゃ!』と、気分を入れ替えようとする。そこから少し登り、9時54分、鞍部になるササを分け入る。坊主谷である。一日中、陽の当たらない谷で、滑る・崩れる・急下降・・・、そして、右に坊主尾根の岩峰、左に小積ダキ・・・危険極まりないアプローチである。NAMAさんはというもの
「水流さん、これが本当の登山じゃねぇ・・・、道無き道を進む・・・!」
と嬉しそうに歩いている。良く考えてみると、登山口から標高差600b・距離約4qを登り、坊主谷を150bほど高度を下げ中央稜を登攀し、また600b・距離約4qの下山をする行程である。アフローチの短い比叡山の感覚ではいられない。少しトラバース気味に松の木の林にたどり着くと、そこが中央ベランダとなる。10時20分。
 両サイドに、坊主尾根とワク塚を従え、中央にそびえる「小積ダキ」である。そして、ここが中央稜の中間地点で、その上部のみの登攀である。NAMAさんの案内で下部を覗きに行くが、実に高度感が凄く谷底に一気に吸い込まれそうな感じであり、人工クライミングが多いだけの事はあり、傾斜は恐ろしくキツイ。よく考えてみれば、その高度感を背に負いながら、さらにその上へと登るのだから・・・と圧倒されてしまう。
 少し腹ごしらえをして、ハーネスを取り付け、ギアを装着しロープを整理した。余りの手際の悪さにNAMAさんから叱咤される。
「クライミング・・・、特にアルパインやロングルートでは、その手際の悪さが命取りになる。1ピッチで10分ずつ遅れれば、6ピッチで1時間の遅れになる。長ければ、もっと遅れる。下山途中に暗くなる・・・、下手するとクライミング中に暗くなれば、その分危険も増える。」
と、肝に響く注意を受けた。


中央ベランダから「中央稜」を見上げる
 

1Pチムニーに取り付くNAMAさん

1Pチムニーを抜けた川キョン

3,【1P・W・15b】10時56分
 いよいよ、登攀の開始である。NAMAさんが、チムニーに体を入れ、ずり上がっていく。足の運び、体のねじりを良く見る。登り上がった所で、リュックを引っ張り上げる。滑車を忘れたので、ゴボウで抜く。3人分のリュックを引き上げるNAMAさんが、「重みぃ〜!何を入れちょっとや!」と叫ぶ。
 続いて、私が取り付く、背中側に足でスタンスをとる登りは始めてで難しい、背中を上手に使いながら、スタンスを探り、NAMAさんが体を反転させたところで向きを替える。抜け出してデポしてある自分のリュックを背負い、次のスクイズチムニーの基部でビレーとなる。しかし、ビレーと言っても、3番手の川キョンをビレーしているのは、NAMAさんで・・・、私がビレーしているのは「セルフビレー」だけだ。
 申し訳ないと思ったものの、結局、オールピッチ、セカンドの役割であるトップのビレーも、ヌンチャクやアブミの回収も、私は何もせずひたすらビレーされているか、セルフビーをしているかの大名クライミングという結果であった。・・・余裕が無かったのが真実かも知れない。

 


2Pをリードする川キョン


風穴をすり抜けれてご満悦

4,【2P・X・20b】
 スクイズチムニー。見るからに傾斜がきつく手強そうだ。どう登るのかも判らない。そうこうしていると、NAMAさんから声が飛ぶ・・・
「川キョン、ここはトップで行きない!」
「・・・・。」
「行けるが!」
「はい!」
片足をチムニーに突っ込み、片足は傾斜のキツイ外側に出し岩の結晶にスメアで立っている感じである。川キョンが登り始めて、2つ目のピン近くでズリそうになり
「なんしよっとかぁ!3点支持が出来ちょらんがぁ!いい加減にせんかぁ!」
ともNAMAさんの大声が響く、岩陰で見えなかったが、ヤバかったらしい。しかし、それでも上部へたどり着き、かぶさった岩の間に消えていった。
 続いて、私だ。下から
「そこに、スタンスあるやろ!左のホールドに手をかけて!」
と、NAMAさんから細かい指示が飛ぶが、すべてノッペラボウにしか見えず、ピンもヌンチャクも握る立つの何でもありで上部に着く。そして、ここからが試練だった。岩の透き間に体をねじ込み、ずり上がらなければならないのだが、肥満体型・体力無しの私には過酷なものとなった。何度も、下から
「何しよっとやぁ?」
と、声がかかるが
「登りよる!」
としか、答えようがない。まるで、板挟みになったブロイラー鶏が、足をバタバタしている様な感じなのが、自分でもよく判る。しかし、死にそうなぐらい真剣だから、主観的には笑いも出ない。手のひらと腹の「ゼンドウ運動」で、にじり上がって川キョンの待つビレー位置にたどり着いたときには、余りの疲れに吐きそうな程・・・、立木も掴めないほどだった。ああっ・・・吐きそうやわ!と、言ったか言えたか聞こえたか判らないが、すぐリユックの荷上げが待っていた。
「何しよっとや!一本ロープをおろしなぁーい!」
「何しょっとや!早よせんね!」
「何しょっとや!下までロープか届かんがぁ!」
「何しょっとや!早よ引っ張り上げんね!何しょっとね!」
焦ると、ロープが複雑に絡む。力は出ない。途中で引っかかる。叱咤されながら、なんとか荷揚げ終了ではあるが、私は腰が立たないほどである。

5,【3P・V−・20b】12時35分
 草付きの難しくないコースだが、
「何しょっとや!早よ来んね!」
と、NAMAさんの声から始まる。へなへなと、迷惑かけながら草付きを登ると、有名な「風穴」。リュックを先に出し、私が顔を出したところで、記念写真を写してくれた。ここは、登る前にNAMAさんと川キョンが、私の体型では通り抜けれないかも知れないと脅した所だ。脅されたおかげで、抜けたときに無性に嬉しかった。そして、「下の窓」。窓と言うより、どでかい岩が落ちかかって引っかかっている隙間を抜ける感じである。自然が作り出したものであるが、先月「比叡山」でお会いした、初登の原口さんは、実に素晴らしいコースを開拓されたものだと感心する事しきり・・・である。
 12時30分、4Pの基部で、しばし休憩タイムをいただく。

     

4Pをリードする川キョン
水流渓人
NAMAさん

6,【4P・W+・40b】12時40分
「川キョン、もちろんトップで行くやろ!」
NAMAさんの言葉には、甘やかしがない。しばし考えるが、行くところが川キョンの強さだろうと思う。そんな先輩2人の掛け合いを見ていると、新米の私には付け入る隙も無く、『借りてきた猫』・・ならぬ、『どこから来たのか判らぬ肥満猫』状態で、成り行きを見ている。
 NAMAさんの説明では、ここからが中央稜の醍醐味だと言う・・・。高度感、コース設定・・・両サイドに小積谷・坊主谷を見下ろしながら快適なのだと言う。その言葉を思い出しながら、一手一足と運んで高度を稼ぐが、私でも爽快な登りが味わえた。セカンドの強みだと思うが、大きなスラブに走る微妙なクラックを利用して、見事にコース設定してある。シューズのフリクションを味わいながら、川キョンのビレーする不安定な凹角の中でピッチが終了する。
 ここからの眺めは、素晴らしい。下の窓にかぶさる大岩、そして谷に広がる原生林。大崩ならではの景観が中央稜を登攀するものだけに許されたパンラマなのだと思う。そして、そこを登ってくるNAMAさんの大胆で安定した登りを、上から見ることが出来た。私がへばりついたクラックに、手だけをかけてレイバックで上がってくる。スタンスはほぼ凹凸のない岩の上に置いている。そして、その動きは、難しい所ほど無駄なく速い。学ぶものが多いが、比叡で、それを見て簡単と錯覚しての私のフォールである。経験が違うので当たり前の事か・・・・

   


5P、クラックを抜け、上の窓を過ぎたところからフリーでトラバースのNAMAさん。見ていて気持ちいい!


5P、傾斜のきついフェースをアブミトラバース

5Pを上がってくる水流渓人と川キョン

7,【5P・W−・A1・20b】13時30分
 ホールドの乏しい傾斜のきつい凹角から始まる。そこを抜けると、体か右に振られてしまうクラックを上がり、上の窓である。その上をフリーで少し行くと、ほぼ垂直のフェイス・・・もちろん下はストンと、小積谷の樹林へ消えている。ハンガーボルトにアブミをかけてのトラバース。そして、最後のボルトのヌンチャク支点に草付きへ振り子トラバースで、クラックを直上のピッチである。
 ここは、NAMAさんのリードで登らせて貰う。最初の出だしから、私のためにアブミをフレンズで残置してもらう。本来、フリーらしいがとんでもなく歯が立たない。2箇所の残置アブミでなんとか登れたが、岩にはさめた金具のフレンズに全体重をかけてのアブミ・・・しかも、初体験のアブミが、中央稜だとは危ないどころか贅沢極まりないと思う。
 それから、体を右に振られるクラックで、どうしてもスタンスを外に取るのが恐くて固まってしまった。20分ぐらい経過したと思う・・・肘をクラックに差し込んでのレストを教えて貰っていたので、指の握力を少し温存できたが、次の一手がどうしてもでない。苦肉の策で、左下にあった古いリングボルトにアブミをセットし立ちこんで這い上がる。残置で登っている私は楽だが、すべて回収しながら登る川キョンは大変だと思った。案の定、私がかけたアブミは、あれば乗ってしまうし、乗らずに乗り越そうとすると回収が大変の様だった。
 ビレーしているNAMAさんから
「そこが上の窓やかい、楽しんで上がって来ないよぉー!」
と声がかかる。悪いが、次のアブミトラバースが気になり覗いたのか覗かなかったのか記憶がない。そして、アブミ・・・ここでは安定している唯一の場所の様な気がした。快適に横に移りヌンチャクの振り子も楽しかった。ボロボロのクラックを直上して阿万さんの待つビレー点に到達。なんと60度以上に傾いたただの傾斜の途中で、ビレーである。私もセルフビレーに身を任せて川キョンを待った。
 しばし、3人が揃い水分補給をして6ピッチへ移る。

8,【6P・W・30b】2時50分
 再度、川キョンのリードをNAMAさんが促す。ここは、フリーで右に3bほどトラバースして直上する。横から見ると恐ろしくて仕方ない。そこに打たれているピンにはロープは通さない様に注意される。気が付くとそこから鋭角にコースが曲がっている。ロープの流れを考えての考慮であるが、見えないリードの川キョンが、NAMAさんに交代の助け船を告げた。私にしてみれば、川キョンのこの中央稜でのリードは素晴らしいと思った。
 川キョンが途中交代となったので、下に1人ぶら下がったままの私は、上で登っているであろうNAMAさんに、
「難しそうな所は、アブミおねがいしまぁーす!」
と甘えて叫んだ。2番手となる私は、フリクションで川キョンに追い付き、背中を乗り越しクラックへ入る。NAMAさんがしっかり『お助けアブミ』を、フレンズで残置していてくれた。有り難いことこの上ない。最終ピッチの基部にたどり着くと、もう小積ダキのピークが手に取る位置まで近づいた。

 

6Pを登ってきた水流渓人

最終7Pをリードする川キョン

9,【7p・V・20b】3時30分
 「水流さん、最後トップで行くや?」
と嬉しい一言をNAMAさんにいただくが、私は川キョンに行って欲しかった。実に有り難いサポートをいただき、完結を迎えつつあった。3bほど微妙なバランスで上がると、後は走る速度でロープが出て行く。
 そして、私。ここ最終ピッチの名物は、手をつかずに足だけで駆け上がれる微妙な楽しさと聞いていた。私も生意気にマネして最終ピッチを終えた。続くNAMAさんは、ビレーのロープを引く速度より速く、自分でロープをたぐりながら上がってきた。
 無事を祝い、握手。ここで、景色が良く目に入る様になり、うわずった声がようやく元に戻った。満足感に浸りながら、ノロノロしていたら
「いい加減にせんか!遅い行動が山での命取りになって、さっきも言ったじゃろがぁ!」
と、怒鳴られる。すでに、3時45分。


NAMAさんへ感謝のサービスショット!カッコイイ・・・

 

10,【小積ダキピーク〜下山】
 小積ダキのピークで、遅い昼食を取る。少しくつろいでいたら、福岡の大学生で写真の勉強をしているという青年が声をかけてきた。聞けば、象岩のトラバースの所で座り込んで見ていたそうだ。大崩が好きで、今夜は小積ダキでテント泊すると言っていた。こんな若者がいることが嬉しい。
 4時15分、下山を開始する。林道への分岐が5時23分。NAMAさんの指摘通り、ヘッドランプが必要となるが、暗くなる前にハシゴ場を通過して置いて良かった。
 6時25分林道終点の車デポ地に到着。終了・・。
 祝子川温泉「美人の湯」に直行。湯に浸かると、あちこち擦りむいていたようで、ヒリヒリした。

 

11,【あとがき】
 たくさんの課題と、ありがたい経験を貰った一日だった。やはり、大先輩であるNAMAさんの存在感は大きい。あまり誉めているつもりではないが、山へ対する姿勢・・・、つまり山の怖さ、楽しさを多く経験している人間である。そして、自然を侮らない事、自然へ対する敬意を常に忘れていない事・・・。その教えを一番受け継ぐのは、川キョンではないかと思う。西都山岳会の山へ対する姿勢は、どこよりも素晴らしいと自負している。
 山の中で計り知れないことは、いつも隣り合わせである。そして、岩登りは技術だけでなく究極が集約するものであり、精神的な鍛錬によるものも特に大きいと思った。山を登る人は、パニックになった時に真価を問われるとNAMAさんは言う。岩場に張り付いたまま「動けません!」と言われてからでは、何も出来ないと言う。リーダーとして山の会を引っ張る彼には、個性的すぎるがそんな動物的な感もある。それを大胆に決定づけているようにも見えるが、実は彼ほど冷静で繊細な判断をするリーダーはいないと思っている。会の仲間として、時には彼の意見がどうかな?と思う時もある。しかし、山の中で「もし?」に遭遇した時、疑いもなく私は彼に従えると思っている。川キョンも、そうしてきたのだと思う。そして、私は、比叡に大崩に連れてきてもらえたのだと思っている。
 まさに、『この男!』であり、『この女!』であるのだ。2日経った今、私はまだ夢の中にいる。夢?と思ってしまうこの現実を、確かに経験したのである。次第に膨らむ「達成感」と「感謝」の気持ち・・・それが、今日である。

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