2002年4月10日

宮崎県北方町位置マピオン地図
比叡山(標高760b)は、昭和14年に国の名勝として指定され、
一枚岩の花崗岩が連なり、中国の山水画を思わせるような展望が広がる。
また、ロッククライミングの名所として全国に知られています。

 
 「よぉーし、連れて行っちゃるわ!」大先輩NAMAさんのおかげて、実現した山行である。地元の山岳会をリードし続ける、生涯現役のアウトドアマンである。私のページの「
投稿レポート」にも、寄稿いただいている。・・・とにもかくにも、私の宮崎Uターン以降、公私ともにお世話になり、尊敬している大先輩なのだ。しかし、酒は飲めない。しかし、比叡山・鉾岳・大崩山の岩場や、県内の沢を知り尽くし、若き頃は京都山岳会でアルプスの岩・冬山にのめり込んでいた時期もある。53歳。

 ここで特筆すべきはNAMAさんが、私とザイルをつなぐと言うことである。自信を持って確実に登り、そして、私は登りきれると言うことである。山の会の何人も、比叡・鉾・大崩の岩場を登らせている。この信頼感は、絶大である。彼が「登れる」と言えば、登れるのである。そして、7ピッチものルート長さ、しかも「第1スラブ・スーパー+ノーマル」のミックスルートである。通称「1スラスーパー」、この高度感は、比叡ルートでも屈指ではなかろうか?・・・、道は山の中腹を抜けている。そして、2ピッチ目のトラバースで、直下はズドンと「綱の瀬川」まで視界が落ちる。つまり、登り始めて張り付いた岩から足下の高度は、すでに300bを越しているのである。まさに、333bある東京タワーのてっぺんからの高度感が、足下に見えているのである。そして、そこが取り付いたばかりの位置である。そこから、クライミングは始まる。


比叡T峰/ルート図


取り付き点


1Pを登り切った草付の所・・・まだ、笑み

 そして、核心部となる1スラスーパーへと取り付いた。当然、水流はセカンドだ。センカドと言うのは、トップで登ったNAMAさんに上から確保されている状態。ずり落ちても大丈夫な状態だ。下右の写真を見て欲しい。トップで登るNAMAさんだが、中間にカラビナが見えている。ここが支点となるピンがあるのだが、次のピンまでは確保支点がない・・・、つまりトップは、次のピンまで5bあるとすると、そこで落ちれば倍の10b落ちる訳だ・・・!!セカンドの上から確保された状態とは、まったく意味が違う。
 2Pは、岩の割れ目を横に動き、左下の写真の様に、足下がストンと切れ落ちた所を、しかも足巾程しかないところでビレー点となる。セルフビレーをとりながら、トップをビレーする。はっきり言って下を見ていると生きた心地がしない。
「やっぱ、ここが1スラの醍醐味やね−!楽しみないヨ−!」
と、上から声がかかる・・・。そんな余裕はないが、引きつった顔で笑い返した。それにしても、第1関節の半分ほどの出っ張りしかない。これをどう登るのか頭の中は真っ白だ。「ビレー解除!」・・・・「登ってよし!」と声がかかる。

 ザイルが下に垂れないように、セルフビレーをとっているシュリンゲに渡してザイルを整理する。我ながらこんな写真が撮れたものだ!と、今思う。

 この2P・3Pは、微妙なバランスを要した。恐怖が先立つと、体が岩にへばりつく・・・、へばりつくと足下の微妙なステップが見えなくなる。体を離すと高度感が襲う・・・。

 この狭さのビレー点でNAMAさんは、ヒョイと私の後を通り、スイスイと登っていった・・・・。

水流ちゃん、よじ登る!

抜群の高度感が味わえる?「楽しい!」と言いたいのだが・・・。


亀の甲スラブ

 


6Pとなる50bのスーパールート。歩くように登っていく姿は、美しい!顔は別・・・

 1スラ「スーパー+ノーマル」の意味が判る写真。なんと、水流渓人がトップを攀じている・・・の絵。最終ピッチで、「トップ、登ってみるや?」とNAMAさんが言ってくれた。私は返事が出来なかった。緊張もあったが、そう言ってくれた気持ちが嬉しくて感無量だった。最終到達点へ、私を先に行かせてくれた。ここまで登らせてくれた彼のリードは、少なからず私を上達させてくれていた。シューズと指先が、岩に吸い付くような感触だった。最終点にたどり着くと、向こう側にU峰が迫っていた。
 こんな経験は、彼がいないと出来ないことは明確だった。もっと素直な気持ちで、今言いたい。「ありがとう、そして、特大に楽しかった!」

ツーショット!あ゛ー気色悪ぅ!

振り返ると、手前から「登攀終了点」「矢筈岳」「丹助岳」。

ヒメハギ

登山口にある妙見神社「旨い水」アリ

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