2002/03/20〜21
我が家の場合、幼稚園卒園の時、親父である私が、その子だけを特別に何処か連れて行くことになっている。長女は、友達をキャンプに誘ったが、友達達の親が心配するあまりキャンプは実現しなかった。次女は、私とフェニックス・パラダイスガーデンへ行った。長男は、「子供の国」・・いわゆる、宮崎老舗の遊園地へ行った。 そして、次男。「ボクは皆で行きたい!」と宣言した。「皆」という言葉を用いた時から、それぞれの意見が飛び交い、次男が決定権を持ってはいたのだが、いつの間にか、「水族館」の候補が浮上し、それなら、前泊で・・・となった。次男は、最後まで、「誰が勝手に決めたっつや!ボクの卒園やっちゃかい・・!」と、多少の抵抗はみせたものの、最後には皆に「ブツブツ行ってたら、イルカのショーで、背中に乗ってもらうからね・・・。」と、水が怖い次男を脅してした。姉妹兄弟の世界は、一人っ子の私にはとうてい理解できない。
公園横にある、立派な「輝北天文台」
朝、少し風が吹いた。朝焼けが綺麗だった。テントの朝は空気で目覚める。鹿児島ぐらいの隣県なら、朝出発でも十分だが、あえて前泊をテントにすることぐらいはこだわりたい。そのほうが、より近くに「家族」を感じることができる。家で焼いたパンと、ドライフーズで朝食を済ませる。 風の向きが変わった・・「ん?」、五感の冴えた自然の中では、雨さえ空気で感じる。撤収を急ぎ、荷物を車に積み終えたとき、ポツポツと降ってきた。さあ、桜島から、水族館をめざそう!
桜島へ入る。ここが「溶岩道路」
いおワールドかごしま水族館
西南戦争最後の司令部。1877年9月24日、4万の政府軍の城山総攻撃が始まり、ここに立てこもった薩摩軍兵士は、わずか300余り、死を覚悟した西郷は、夜明けを待ってここを出ました。城山岩崎谷で銃弾に当たり、別府晋介の介錯により自決する。49歳。 素晴らしい足跡を残した西郷の足跡を辿る度、九州男児の血を感じてしまう。
Copyright (C) 水流渓人 All Rights Reserved
〔BACK〕